12.18.2011

文化は人間の生死の問題です

文化政策学会のラウンドテーブルの最後に、パネリストの一人の方から「文化は、人間の生死に関わる問題ではないから、震災のような非常時のときに予算が削減されるのは仕方の無いことだけれども、震災を実際に体験して、文化の大切さが身に沁みてわかった」という発言がありました。
この方のプレゼンテーションも、上記の発言の前後の文脈も、震災を踏まえて、今まで以上に文化政策を推進する必要性がある、という趣旨の発言で、そのことは私もそのとおりだと思うんです。ただ、私は「文化は、人間の生死に関わる問題ではない」とは言いたくないです。文化は、人間の生死に関わる問題だと言い切りたい。
文化を人間の生死と切り離して考えられるのは、文化を「商品」として接する態度だと思うんです。商品として生産、流通、消費される対象としての文化。それはそれで大事だと思うし、完全に市場原理に委ねてしまうのではなく、ある慎重さの上で、政府が関与する意味合いも必要だと思う。
でも、文化は「商品」である以前に「社会システム」だと思う。人間が社会を形成し、動かしていくために、文化は必要不可欠だと思う。そこが、政府が関与する大きな理由でもあると私は思うんです。
昨日買って読み始めたんですが、「生態系は誰のために?」(花里孝幸著・ちくまプリマー新書)の冒頭に、こういう文章があります。
「生態系」は、英語でエコシステム(ecosystem)といいます。すなわち、ひとつのシステム(系)です。システムとは、多くの要素がお互いに関わりを持って秩序を保っているものなのです。
人間社会でも、多くの人がお互いに関わりを持って秩序を保つことが必要(秩序を保つために秩序を変更することも必要)なわけで、その役割が文化だと思う。だから、文化を単なる商品の生産、流通、消費の対象として捕らえるのではなく、システムとして捉えることが大事。
以前「環境」という行政分野は、ゴミの回収や下水処理を行政が代行し、市民は税金でその行政サービスを購入することが関心ごとだった。でも、今や、環境問題は人間の生死にとって切実な問題になったはずです。今回の震災でなおさら、環境問題は、個人と地球全体が直結する問題であり、そのシステム、つまりエコシステム=生態系の問題に、一人ひとりの生死が関わっているということに気づかざるを得なくなっているわけです。
文化も、コンサートや演劇や美術の鑑賞に必要な施設を整備し、市民にサービスを享受しやすくするために、行政が負担しますということが文化行政だった。それは商品レベルの文化。多くの人がお互いに関わりを持って秩序を保つためのシステムとして、文化を捉えるべき。真剣に。
だって、この国は、年間で自殺者が3万人を超えているんです。文化は人間の生死の問題です。

震災によって浮かび上がった文化環境の「強さ」と「弱さ」

12月16日(金)、早稲田大学で日本文化政策学会第5回研究大会のプレイベントとして「文化の復興/文化による復興 ~震災後の文化政策を考える~」と題したラウンドテーブルがあって、お招きいただいてプレゼンテーションさせていただきました。
私からは、震災後の文化政策を示唆する 私が選んだ3つの事例として、アートNPOリンク「アートNPOエイド」、企業メセナ協議会「GBFund」、いわき芸術文化交流館 「おでかけアリオス」 「Alios plants!」について話をさせていただきました。で、最後の方に、3つの事例から浮かび上がる 文化環境の「強さ」と「弱さ」を整理しました。私としては、自分で言うのもアレですが、うまく整理したんじゃないかと思っているんですが。
【強さ】
  • 迅速で柔軟な民間の動き
  • 個別の活動現場への共感
  • 地域を越えた同一分野の連携
  • 文化機関(=institution)が地域に果たす役割

【弱さ】
  • 政府の対応や動きの鈍さ
  • 継続が困難な中間支援活動
  • 芸術分野を越えた地域の連携
  • 文化施設(=facility)の修復にかかる金と時間
もし、何かご意見とかあれば、お聞かせ下さい。

12.07.2011

「威張るな、経済」…まったくだ。

12月17日付けの毎日.jpに「発信箱:威張るな、経済」と題したコラムが掲載されていました。見出しにヤラレました。内容もすごくいいです。ぜひご一読を。

12.06.2011

劇場,音楽堂等の制度的な…(略)…のパブコメ

最近、Facebookばかりでブログを更新してなかったのですが、本日が締め切りの「劇場,音楽堂等の制度的な在り方に関する中間まとめ(案)」に関するパブコメを出したので、不遜ではありますが、公開させていただきます。なお、あくまでも個人の意見であって、いかなる団体や組織を代表する意見ではありません。
  • 全体を通しての意見①
    p.2(2. 基本的考え方、今後の劇場、音楽堂の在り方)に「我が国の文化芸術の水準が高まるようにしなければならない」という文章以降、「水準」という文言が頻出していますが、その「水準」とは何を意味するのかが伝わりにくいと感じます。
    「水準」が現れる文脈の多くで「国際的に比肩しうる」とあります。その文脈でp.5の「(2) 基本的施策」では具体的に「新国立劇場」が挙げられていますが、例えば新国立劇場を「国際的に比肩しうる」水準として考えるとすれば、どのような実績や指標で測られるのか。一方、p.6の「②地域の文化芸術活動の活性化」では「地域の文化芸術活動を活性化することによって、我が国の文化芸術の水準を高める」とあります。これは、前述の「国際的に比肩しうる」という意味での水準とは異なるように思います。
    また「水準」という言葉には、「高い・低い」という垂直的なヒエラルキーが含まれるように感じます。それは自ずと「トップレベル」という文言にも繋がり、その印象として、「国=高水準・トップレベル」に対して「地方=低水準・裾野」という、中央集権的なピラミッド構造の文化政策の考え方には、違和感を感じます。
    文化芸術振興基本法の第二条(基本理念)の第5項「文化芸術の振興に当たっては、多様な文化芸術の保護及び発展が図らなければならない」とあり、ユネスコの文化多様性条約や平成16年の文化審議会文化政策部会「文化多様性に関する基本的な考え方について」を鑑みても、本中間まとめにおいては、文化の多様性の確保よりも、水準を高めるという姿勢が強調されているように感じます。
    以上について、より一層の検討や検証が望まれます。
  • 全体を通しての意見②
    p.1「劇場,音楽堂とは,もっぱら音楽,舞踊,演劇,伝統芸能,大衆芸能等の文化芸術活動を行い」とあるように、文化芸術の分野としては音楽,舞踊,演劇,伝統芸能,大衆芸能等を対象としています。無形文化財が対象外となっている(もしくは「等」に含まれる)ことは、従来の文化行政の枠組みを前提としている以上は修正が困難であることは予想できますが、劇場・音楽堂には、国立劇場おきなわをはじめとして、無形文化財の公演、公開、普及啓発、人材育成、調査研究等に資するものも数多くあります。よって、劇場・音楽堂の制度的な在り方における無形文化財の位置づけについても検討が必要と考えます。
  • p.3「3. 検討対象」の「地域」
    「地域によっては,公立の劇場,音楽堂等がなく,音楽,舞踊,演劇,伝統芸能,大衆芸能等の文化芸術活動が,民間事業者が設置又は運営する劇場,音楽堂等において行われている場合がある」とあります。ここでの「地域」として想定する範囲が、道州レベルなのか、都道府県レベルなのか、市町村レベルなのかによって、検討対象の性格や数が大きく変わるため、より具体的な検討と説明が必要だと考えます。
  • p.4「(1) 総論 ① 劇場,音楽堂等の機能を生かした文化芸術の振興に関する国及び地方公共団体の責務について」
    箇条書きの3点目の「地方公共団体の責務は,自主的かつ主体的に,その地域の特性に応じた音楽,舞踊,演劇,伝統芸能,大衆芸能等の文化芸術に関する施策を策定し,当該地方公共団体の区域内における劇場,音楽堂等を有効に利用し,必要に応じて,国や他の地方公共団体等との連携を図りつつ,実施することである」とありますが、「国や他の地方公共団体等との連携を図りつつ」という部分に「市民」あるいは「地域の人々」という言葉が「国」よりも前に置かれる必要があると考えます。
  • p.4「(1) 総論 ② 劇場,音楽堂等を設置又は運営する民間事業者の役割」
    ここでの「民間事業者」は、自らが劇場・音楽堂を設置・運営する民間事業者だけでなく、地方公共団体が設置した劇場・音楽堂を、指定管理者制度で運営する民間事業者も含まれていると考えますが、地方公共団体が設立し資金を拠出している法人(公立文化施設を運営する文化振興財団など)は、この「民間事業者」に含まれると考えてよいでしょうか。あるいは、前項①の「地方公共団体」に含まれているのでしょうか。
  • p.5 「(2) 基本的施策 ① 我が国の文化芸術の水準を高めるトップレベルの活動の支援等」
    「国は,我が国の文化芸術の水準を高め,国際的に比肩しうる水準の文化芸術の振興を図るため,引き続き,新国立劇場を十分活用し,創造発信活動等を行うとともに,地方公共団体,民間事業者,文化芸術団体等と連携協力し,これと同程度の水準の文化芸術を提供することができる劇場,音楽堂等を拠点として,トップレベルの創造活動等が全国的に展開されるよう支援する必要がある」とありますが、新国立劇場と「同程度の水準の文化芸術を提供することができる劇場,音楽堂等」というのは、何を同程度の水準とするのか(施設の規模や舞台設備なのか、その施設や事業運営を行う組織体制や人材なのか)、説明が必要に感じました。
    また、「トップレベルの創造活動等が全国的に展開されるよう」国が支援することが、地域に根差した文化芸術の創造に繋がるとは限らない(東京を拠点とする団体の地方巡業を補助する仕組みでしかない)とも考えられるため、どのようにすれば、国の支援が地域に根差した文化芸術の創造に繋がるのか、検討が必要だと考えます。
  • p.7「5. 劇場,音楽堂等の運営に係る留意事項等 (3) 指定管理者制度の運用」
    劇場・音楽堂において、指定管理者制度の運用は非常に大きな課題だと考えます。また、劇場・音楽堂の制度的な在り方が検討される契機でもあったと認識しています。
    しかし、本中間まとめでは、指定管理者制度の運用が「留意事項」として「法的基盤の内容として考えられる事項以外」に位置付けられており、劇場・音楽堂の現場の切実な状況やこれまでの議論の経緯を考えると、消極的な姿勢のように印象を持ちます。
    「制度的な在り方」としては「現実的」ではあるかもしれませんが、p.3「4. 法的基盤の内容として考えられる事項」にもある「設置者の判断のもと」という前提を越えられない(例えば首長や議会が劇場・音楽堂の意義を意に介さない場合、この制度の意義も通用しない)とすれば、法的基盤として整備する根拠自体が弱いようにも感じます。
    地方自治法・公の施設の指定管理者制度の例外規定的な位置付けが可能となるような根拠となり、実効力のある制度の在り方を検討することが望ましいと考えます。
これだけ意見を書いたわけですが、私は、まだ「劇場法」に賛成か反対かを問われても、よくわからない、というのが正直なところです。ただ、法律という形になるかどうかは結果であって、それまでの議論を尽くすことが重要だと思っています。
いつもパブコメを出すときに難しいと思うんですが、できるだけ建設的に書こうと思っていても、どうしても非難や否定めいたニュアンスが出てしまうなぁ…反省。

11.17.2011

その価値に気づいてしまった人の役割

いわきアリオスの「モヤモヤ会議」の続きの話を書かなきゃと思っていたら、藤浩志さんがブログに書かれていました。藤さんは、震災前からやっていた「アリオス・プランツ!」の発案者でもあります。
その藤さんのブログにも紹介されていた、中之作プロジェクトの豊田さんの話を聞いて、私は感服したんです。要するに、津波の被害で解体の危機にあった古民家を、豊田さん自身が購入する(!!!)という形で、なんとか保存した、という話です。
この話を受けて、たしか藤さんから「その価値に気づいてしまった人の責任」という言葉が出て(すみません、前後を含めた正確な発言が思い出せないのですが)、私は、一気にモヤモヤが膨らんだわけです。「責任」という言葉がいいかどうか分からないものの、少なくとも「その価値に気づいてしまった人の役割」ということは、たしかに、あると思う。
つまり、200年の歴史を持つ古民家が解体の危機にあって、それに価値があるから残すべきだと言っても、代々200年間支えてきた世帯主に責任を押し付けるわけにはいかない。そこの地域全体も被害を受けているから、地域コミュニティでも責任は負えない。自治体にしても、津波の被害を受けた建物の解体費用を補助するのが精一杯で、とても保存に責任を負えない。国なんて、とうてい期待できない。
そこで、最後に残された可能性は「その価値に気づいてしまった人」なんだということです。私は、それを責任とは言いにくいけど、たしかに、その価値に気づいてしまった人には、それを残すための役割を果たさねばならないと思う。
今までは、その役割から逃れて、解体を決めた所有者や、地域コミュニティや、自治体や、国の責任にしていたかもしれない。でも、そのようにして私たちが作ってきたのが今の社会だと思うと、自分自身の役割を、もう一回考えないとなぁと思ったわけです。

11.11.2011

振る舞いの問題としてのTPP

TPPの論議の行方に関心があるんですが、経済政策とか農業政策の問題ではなく、文化の問題として考えてしまいますね。
なぜ、そこまでアメリカに追従するように振る舞うのか。振る舞わねばならないのか。あるいは、それに反発すると、愛国的に振る舞うのか。振る舞わねばならないのか。
そのような「振る舞い」の背景にある価値観を、よく観察したい。

11.09.2011

「がんばれ」なんて言えないなぁ

日曜に、福島県のいわき芸術文化交流館アリオスで「いわき復興モヤモヤ会議」に参加しました。とても楽しかったし、いろいろ考えました。
いわき駅からアリオスまで歩く道も、3月11日の地震によってボコボコになった歩道の路面が残されていたり、倒壊の危険のありそうな古い店舗や家屋、それらが既に取り壊された跡の更地が、痛々しかったです。とはいうものの、そこには住み続けて、働いたり学んだり遊んだりし続けている人々がいる。たまたま一泊二日だけ、外から訪れた私の目に映る「痛々しい」風景に比べて、そこに311以前から暮らし続けている人々の様子は、意外にも「淡々と」しているようにも見えました。
けれども原発による放射線量のことを多かれ少なかれ気にしているはずで、おそらくそれは、当事者にも無自覚なまま絶えず「緊張感や恐怖感」を強いられているんじゃないか。その、痛々しい風景、淡々とした生活、無自覚な緊張感や恐怖感。それは、何だろうな、「歪んだ世界」としか言葉が思いつかない。
とにかく、その世界に向かって「がんばれ」なんて言えないなぁと思いました。いや、私自身もつい「がんばれ」と言いたくなってしまう瞬間がある。つい「がんばれ」と言ってしまう前に、誰が、何を、どのようにがんばればいいのか、少し想像してから言おうと。「がんばれ」という言葉よりも、そこに想像力を働かせる方が、優しさだと思いました。
モヤモヤ会議のことは、また別に書きます。

11.01.2011

「現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化である」

10月31日付のINTERNET WATCH「福井弁護士のネット著作権ここがポイント~TPPで日本の著作権は米国化するのか~保護期間延長、非親告罪化、法定損害賠償」は、文化政策に関心のある方のみならず、一人でも多くの人に読んでほしい内容です。福井建策さん、脱帽です。
ここでは文章の最後の部分を紹介させていただきます。
10月28日の毎日新聞朝刊で、APEC首脳会議でTPP交渉参加を表明すべき理由として、「それが米国が最も喜ぶ時期だから」という説明が与党内でされたとの報道があった。
当たり前のことを書くが、相手が喜ぶこと自体は外交の目的ではない。たとえば日本の交渉参加を交換条件に、こちらの要望を何か米国に呑ませるというなら、まだわかる。しかし、伝え聞く限り、その様子もない。
筆者は、国内外の契約交渉を専門としている。日本の場合、「相手と同じ船に乗っている」ということ、言ってみれば「何であれ何かに合意して(その場は)丸くおさまる」ということ自体が、しばしば目的化すると感じてならない。つまり、「合意至上主義」である。
「合意」は、決して交渉の「目標」たり得ない。逆だ。はっきりした「目標」があって、その目標を獲得できる時にだけ「合意」するのだ。
改めて問う。交渉参加の「目標」は何か。保護期間の延長ひとつ取っても一国の文化への影響は甚大だ。「なんとなくアメリカと仲良く見える」という程度の理由でそれが決まってしまうほど、この国の文化の、情報流通の未来は軽くないのである。
この福井さんの言葉と共鳴する、最近読んだ夏目漱石の言葉も紹介します。
御維新後外國と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違ひます…日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝撃を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應(いやおう)なしに其云ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有樣になつたのであります…是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化であると云ふ事に歸着するのである。無論一から十まで何から何までとは言はない。複雜な問題に對してさう過激の言葉は愼まなければ惡いが我々の開化の一部分、或は大部分はいくら己惚れて見ても上滑りと評するより致し方がない。併しそれが惡いからお止(よ)しなさいと云ふのではない。事實已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つて行かなければならないと云ふのです。
夏目漱石の1911年の和歌山での講演「現代日本の開化」から。ちょうど100年前の言葉です。100年経っても、日本の開化は上滑りしています。基地も原発もTPPも、何もかも、つるっつるです。

「人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

10月31日付のロイター「パレスチナがユネスコに正式加盟、米国は分担金の拠出停止」から。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は31日、パレスチナ自治政府の正式加盟の是非を問う投票を行い、賛成多数で可決した。これを受けて、米国はユネスコへの分担金拠出を停止する方針を明らかにした。
同日のユネスコ総会で行われた採決では、米国、ドイツ、カナダなどが反対票を投じる中、賛成多数で正式加盟が可決された。アッバス議長が国連への加盟を申請した9月以降、パレスチナが国連機関で正式加盟を果たしたのは、ユネスコが初めて。
この採決を受けて、米国務省のヌランド報道官は記者団に、「遺憾かつ時期尚早で、包括的で公正、恒久的な中東和平という共通目標を揺るがす」と非難し、米国が11月に予定していた6000万ドル(約47億円)の支払いを行わない方針を示した。
米国の分担金はユネスコ予算の22%に当たり、拠出停止はユネスコの活動に大きな影響を与えるとみられる。
ユネスコ憲章の前文には、こう書いてあります。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
誰のための「人の心の中の平和のとりで」を築くのか。誰が民主主義の原理を否認しているのか。誰が精神的連帯を壊そうとしているのか。

10.28.2011

「AIR!AIR!AIR! 海外でステップアップを目指せ! 」

11月から12月にかけて、アーティスト・イン・レジデンスに関連するセミナーが3回あります。私は2回目に呼んでいただいたんですが、他のゲストの顔ぶれが尊敬する諸先輩方で…なんちゅうか、場違いな感じもしますが、恐縮です。

AIR!AIR!AIR! 海外でステップアップを目指せ! 〈ノウハウ編〉

海外経験豊富な先輩アーティストや芸術活動の支援団体担当者が直接あなたの疑問に答えてくれる「対話型セミナー」
さらなるステップアップを目指すための第一歩として、海外のアーティスト・イン・レジデンスで経験を積んでみませんか?
若手アーティストやキュレーター、アートマネージメント担当者が、活動を海外へ広げていく際に役立つ実践的ノウハウをご紹介します。アーティスト・イン・レジデンスへの参加、海外での展覧会・公演を行う際に頻出する、「資金はどこからどうやって集めているの?」「どの国に行くか、どうやって決めたらいいの?」という具体的な疑問や、「申し込みをするときは相手に合わせて作品を変えなくちゃいけないの?」「成果発表など、やりたくないことはやらなくていいの?」という、誰にも聞けなかった不安まで、さまざまな参加者の声に海外経験の豊富な先輩アーティストや支援側担当者が直接答える、少人数グループでのワークショップ型セミナーです。
主催:国際交流基金、公益財団法人東京都歴史文化財団トーキョーワンダーサイト、公益社団法人企業メセナ協議会

開催概要(全3回)
◎第1回 申し込み・プレゼンテーション編
アーティスト・イン・レジデンスへの申し込みや、助成金に申請する時に、どうやって自分の活動を説明したらいいのか、悩むことは有りませんか? 助成金をもらうために、 相手に合わせて自分を変えなくちゃいけないの? と、疑問に思ったことはありませんか?レジデンスや助成金へ申請しようとしている方を対象に、上手なプレゼンテーションの方法や、活動をアピールするための手順やポイントを紹介。少人数グループで、アーティストや専門家、支援団体の担当者が直接疑問にお答えします。
◆日時: 2011年11月2日 水曜日 19時から21時
◆場所: トーキョーワンダーサイト青山:クリエーター・イン・レジデンス
◆ゲスト:[アーティスト] 渡邉康太郎(タクラム・デザイン・エンジニアリング)
[支援側] 宮津大輔(アート・コレクター) / 吉野律(アジアン・カルチュラル・カウンシル シニアプログラムオフィサー) / 家村佳代子(トーキョーワンダーサイト事業課長)

◎第2回 評価編
申し込みから決定までの間と、無事に海外での活動を終えた後、避けて通れないのが「評価」。誰がなんと言おうが、自分はこれでいいと突っぱねたことはありませんか? 評価をしている側、されている側の両方からゲストを迎え、何を見られているのか、どうして評価し評価されるプロセスが必要なのかをみんなで考えます。
◆日時: 日時:2011年11月15日 火曜日 19時から21時
◆場所:国際交流基金JFICスペース〔けやき〕
◆ゲスト:[アーティスト] 伊藤千枝(珍しいキノコ舞踏団主宰)
[支援側] 大澤寅雄(ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室) / 久野敦子(財団法人セゾン文化財団 プログラムディレクター) / 今村有策(トーキョーワンダーサイト館長) / 菅野幸子(国際交流基金情報センター プログラム・コーディネーター)

◎第3回 ファンドレイジング編
芸術活動に資金的な支援をしてくれているのは、どんな方たちなのでしょうか?助成金だけが資金調達の方法なのでしょうか?芸術活動への支援を行っているのは、公的機 関だけではありません。多様な支援活動を実施している企業の方を迎え、活動を実現するためのファンドレイジング(資金調達)について、疑問やアイディアを交換します。
◆日時:2011年12月20日 火曜日 19時から21時
◆場所:国際交流基金JFICスペース〔けやき〕
◆ゲスト:[アーティスト]
[支援側] 企業のメセナ担当者 / 荻原康子(企業メセナ協議会 プログラム・ディレクター) / 岡部美紀(国際交流基金 文化事業部 造形美術チーム)

参加費:各回無料/定員:各回40名
お申込み:必要事項明記の上、メールにて件名を「AIR!AIR! AIR!参加希望」としてこちらまでお申込みください。
【必要記入事項】①参加者のお名前、②参加希望日程、③メールアドレス、④参加区分:アーティスト / マネジメント(所属先)、 ⑤参加したい理由と、当日聞きたいこと(任意)
※定員に達し次第〆切とさせていただきます。空席がある場合、当日も受付致します。


各回のお問合せ
(第1回) トーキョーワンターサイト青山:クリエーター・イン・レジデンス
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山SOUTH棟3F
TEL:03-5766-3732 (代表)
(第2回・第3回) 国際交流基金情報センター
〒150-0001 東京都新宿区四谷4-4-1
TEL:03-5369-6075 担当:菅野 / 谷地田


■ 本事業のお問合せ
国際交流基金 情報センター 担当: 菅野 / 谷地田
TEL: 03-5369-6075 Emailはこちら

output、outcome、impact。

自分なりにbreakthroughなメモ。
事業評価の位相は、結果(output)、成果(outcome)、波及効果(impact)に整理することができる。アーツにおける事業評価の場合、往々にして生産者側(アーティストやプロデューサー等)と出資者側(公・民間の助成機関等)で評価の位相が食い違う場合がある。
生産者側と出資者側が「成功」を共有すべき評価の位相はoutcomeであり、outcomeこそが両者にとって成功の「十分条件」と言えるのではないか。また、outcomeやimpactは成功の「必要条件」だが、生産者側にとってはoutcome>impact、出資者側にとってはimpact>outcomeというプライオリティとなる。
生産者と出資者がoutcomeを共有し、outputとimpactのプライオリティの違いを互いに尊重し合うことが、アーツが社会に根付くための環境整備に必要なことではないか。ということが、最近の私のbreakthrough。

10.27.2011

藤浩志さんの「miracle water」

藤浩志さんに直接話を聞く機会があって、「miracle water lab」というプロジェクトの話題になりました。この絵にとても共感しました。

10.25.2011

200年前の根っこがどこにあるのか。

小暮先生のつぶやきで、J.S.バッハ(1685-1750年)の後世の再評価の話題について触れられていたので、いろいろ考えました。
20世紀の作曲家や演奏家で言えば、シェーンベルク(1874-1951年)、カザルス(1876-1973年)、ストラヴィンスキー(1882-1971年)、ヴェーベルン(1883-1945年)、グールド(1932-1982年)にとって、バッハは200年ほど前の作曲家だった。そのバッハを、とことん研究したと同時に、作曲や演奏の技法において、大きな革新をしたということも共通していると思います。
表現様式の大きな革新が生まれる際に、アーティストが「古典」や「原点」に回帰するということが必然のような気もします。が、彼らにとって「古典」や「原点」という認識はあったとしても、それを「伝統」とは思っていないような気がします。もしかしたら、わざわざ「伝統」と言わなくても、自分の表現の「根っこ」を辿れば、そこに繋がっているという認識がある、ということかもしれません。
そこで、21世紀に生きる日本やアジアのアーティストは、何を根っことしているのか。どこに根っこを見出すのか。例えば、今から200年前というと、日本はまだ開国していなかったわけですが、開国する以前の文化に対して、どれほど私たちは根っこを感じているのか?その根っこがないのに、革新なんてできるのか?いや、根っこがないから革新ができるのか?いやいや、根っこのない革新なんて、革新と言えるのか?
という自問自答が、昨日から続いています。

10.24.2011

「Breaker Project 2006 - 2010」を読んで

2003年から大阪で行われているブレーカープロジェクトの、2006年から2010年までの活動記録「Breaker Project 2006 - 2010」を送っていただいて、拝読しました。素晴らしい記録です。そこに出品された作品の数々も素晴らしいですが、街との関わりや人々の変化が垣間見えます。山田創平さん、吉澤弥生さん、雨森信さんの文章も素晴らしいのですが、62、63ページの「地元の声」が、このプロジェクトの価値をすべて語っていると思います。

10.22.2011

「アジアと日本の芸能から学ぶこと」を終えて

昨日、STスポットで「アジアと日本の芸能から学ぶこと」と題して、理事メンバーと一緒にいろんな民俗芸能の映像を見ておしゃべりしました。ご来場いただいた方、Ustream中継を見てくれた方、本当にありがとうございました。
2時間半、楽しかったです。結構たくさん映像を見てもらいましたが、他にもまだまだたくさんあるので、また機会を改めて。あるいは「ぜひ見たい!」という方がいらっしゃったら、戸別訪問上映会も可能です。最低観客数2名以上で、お金は必要ないですが、交通費分くらいのビールとかおつまみをご提供いただければ、行きます。首都圏以外は応相談ということで。もし、その現地で珍しいお祭りや民俗芸能がある、というところであれば、喜んで行きますので、ぜひご連絡ください。
あと、昨日の会のUstream中継終了後に、来てくれた方から「このリサーチを踏まえて、今後の手塚さんや大澤さんの活動の方向性は?」という質問がありました。
手塚は手塚で考えていることがあるようですが、ハッキリ言えることは、「伝統と現代のコラボレーション」みたいな作品を作るつもりはないと思います。じゃあどんな方向性になるのか?それはお楽しみに、ということで。
私としては、私自身が民俗芸能に触れたことで、今までコンテンポラリーダンスやコンテンポラリーアートに向けてきた眼差しが、かなり変わりました。端的に言えば、民俗芸能を見る眼差しとコンテンポラリーダンスを見る眼差しが同じようになった。この間、KAATで公演があった山下残さんの作品は、私は民俗芸能を見ているように楽しかった。そういう、表現を受け取る人の中の、眼差しを変えるようなことができるといいなぁと思っています。
またやります。乞うご期待!

10.21.2011

本日19時より、Ustream中継スタート!

Shall we Talk @ ST spot 〜アジアと日本の芸能から学ぶこと〜

  〈ゲスト〉
天野静香 (横浜市芸術文化振興財団)
塚口麻里子(国際舞台芸術交流センター)
塚田美紀 (世田谷美術館)
大平勝弘 (STスポット館長)
小川智紀 (横浜市芸術文化教育プラットフォーム 事務局長)
※予定しておりましたゲストの岡本真佐子さんは、ご都合により出演ができなくなりました。全国の岡本真佐子さんのファンのみなさま、大変申し訳ありません。

〈ホスト〉
大澤寅雄 (ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室)

企画制作:NPO法人STスポット横浜
文化庁委託事業「平成23年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」
助成:公益財団法人セゾン文化財団 アサヒビール芸術文化財団

10.20.2011

Ustreamします。リクエストがあればお見せします。

本日10/21(金)の「Shall we Talk @ ST spot〜アジアと日本の芸能から学ぶこと〜」ですが、Ustream中継を予定しています。どうしてもSTスポットまで来ることができない方は、19時前に、こちらのブログをチェックしていただければ、URLをお伝えします。
ただUstreamだと、上映する映像はきれいに見えないと思うので、ぜひSTに来て下さい。来てくれた方からリクエストがあれば、お見せできる映像は、以下のとおりです。
Jecko Siompo(Papua Indonesia)、Tari Saman(Aceh Indonesia)、Dindon WS(Jakarta Indonesia)、Pichet Klunchun(Bangkok Thai)、河回村の仮面劇(韓国 安東市)、小川阿蘇神社の亀蛇舞(熊本県宇城市)、高千穂神楽(宮崎県高千穂町)、壱岐神楽(長崎県壱岐市)、白石踊り(岡山県笠岡市)、上鴨川住吉神社の神事舞(兵庫県加東市)、油日の奴振り(滋賀県甲賀市)、サンヤレ踊り(滋賀県草津市)、猿田彦神社の豊年踊り(三重県伊勢市)、御園の花祭り(愛知県東栄町)、布川の花祭り(愛知県東栄町)、小国神社の十二段舞楽(静岡県森町)、蛭ヶ谷の田遊び(静岡県牧之原市)、鳥屋の獅子舞(神奈川県相模原市)、藤野囃子(神奈川県相模原市)、奥沢神社例大祭 (東京都世田谷区)、明治神宮春の大祭(東京都渋谷区)、葛西囃子(東京都葛飾区)、入曽の獅子舞(埼玉県狭山市)、川越まつり(埼玉県川越市)、毛越寺の延年(岩手県平泉町)、黒森神楽(岩手県宮古市)、八戸えんぶり(青森県八戸市)、餅つき踊り(青森県東通村)
他にもあるような気がしますが、だいたいそんなところです。見たい方は、ぜひSTスポットにお越し下さい。

コミュニティアートと民俗芸能の共通点

“コミュニティアート”という言葉が使われるようになって、さほど私は違和感なくその言葉を受け入れてきたんですが、どうやら“コミュニティアート”には様々な先入観がつきまとっているらしいということにも気がつきました。一つは、プロフェッショナルによる“アート”と比較して芸術的な質が高くないもの、という先入観。もう一つは、コミュニティに対して何らかの効用や効果を期待するもの、という先入観のような気がします。
私はそうした先入観が正しいのか分からないし、コミュニティアートに主体的に関わっている人たちが、そうした先入観に沿って企図しているかどうかもよく分からないけれども、ある種の特徴ではあると思います。で、最近思うことは、“民俗芸能”にも同じ特徴が言えるなぁということです。能、歌舞伎、日本舞踊といった“伝統芸能”と分類されるものに対して、芸術的な質が高くないものという先入観があったり、地域の観光振興や過疎地の対策に効用や効果があることが期待されている、という側面が、おそらく民俗芸能にもあるでしょう。
他にも思いつく共通点は、ある意味で見放された場所にあるということ。コミュニティアートは山間の過疎地、シャッター商店街、空き室の多い団地で発生し、民俗芸能も山間の過疎地や高齢者が多くの割合を占める限界集落に残っている。それらは、端的に言えば高度資本主義に見放された場所だったりする。
もっとも重要なコミュニティアートと民俗芸能の共通点は、そこで行われる行為や生み出されるものが、特定個人の有名性ではなく、その地域住民の無名性によるものだということ。たしかに、コミュニティアートにはアーティストを名乗る人物が関わり、それを「作品」として提示しているかもしれないけれども、おそらく長い時間が経過すると、それが「誰かの作品」ではなく「そこにしかない営み」になっていることが、優れたコミュニティアートとして評価されるはずではないか。それこそ民俗芸能は、誰かが踊り始めたり、歌い始めたわけだけれども、作者が誰なのかは重要ではないわけで。
民俗芸能を見ていて、ときどき「これってコミュニティアートだなぁ」と思ったり、コミュニティアートを見ていて「これが100年続いたら立派な民俗芸能だなぁ」と思ったりすることがあります。

10.19.2011

金曜の夜はアジアと日本の芸能についてShall we Talk @ STspot

先週告知しましたが、10/21(金)19:00から、「Shall we Talk @ ST spot 〜アジアと日本の芸能から学ぶこと〜」というトークセッションをします。
ま、トークセッションというほど気張った企画じゃなくて、実は、STスポット横浜の理事会メンバーが入れ替わったこともあって、何か集まって話をしたいねえ、という話になり、私が、じゃあアジアや日本各地の民俗芸能の映像を見ながら、飲み食いするのってどうでしょう、と持ちかけて、理事メンバーが、そりゃいいねえ、ということになり、せっかく面白いメンツで喋るんだったら、公開しないともったいないねえ、ということで、公開することにしました。
なので、今回の楽しみは、アジアや日本各地の芸能の映像を見てもらうということだけじゃなくて、STの理事メンバーの顔ぶれと、それぞれの専門領域の立場から、アジアや日本について語ってもらうことです。
少しだけ理事の顔ぶれを紹介すると、横浜市芸術文化振興財団の天野さんは、かつて学生時代にSTスポットでインターンをした経験があって、いま現在は横浜にぎわい座のスタッフ。にぎわい座は、落語を中心とした大衆芸能と現代舞台芸術のプログラムを展開するユニークな公共劇場。
それから、岡本さんは文化人類学、文化政策、国際文化交流が専門の桐蔭横浜大学の先生で、私はとにかく岡本先生に映像を見て欲しくてワクワクして、岡本先生からアジア各国の文化政策について話を聞かせてほしいと思っています。
塚口さんは国際舞台芸術交流センターのスタッフで、つい最近も韓国に行ってソウルの舞台芸術見本市に行っていたそうです。世界各地の同時代舞台芸術を見ているはずだから、その中で、アジアや日本がどう見えているのか、見られているのかを聞いてみたい。
そして世田谷美術館の塚田さん。美術館の学芸員で教育普及担当ですが、相当、ダンスが好きらしい。世田谷美術館の施設内外の空間を使ったダンス関係の企画は、塚田さんならではの、空間と身体に対する眼差しによるところが大きいと私は確信しています。
そして、STスポット館長の大平さん。大平さんは、ホントに寛容な人です。言葉は少ないけれども、そこにいるだけで安心できる。あと、横浜市芸術文化教育プラットフォーム事務局長の小川くんは、もうちょっとモテてもいいと思うんだけどねえ・・・。
そんなメンバーで、おしゃべりしまていますので、ぜひ遊びにきてください。

10.18.2011

全国アートNPOフォーラム in 大阪で気づいたこと

一昨日、全国アートNPOフォーラム in 大阪に行ってきました。16日しか参加できず、その前日、前々日に参加できなかったのが残念でしたが、大変勉強になりました。
中川幾郎先生と新川達郎先生のクロストーク「震災とアート、自治」の中で、中川先生が言われた西洋近代の個人主義的な民主主義の限界の話と、新川先生が言われた「表現することは自治でもある」という言葉は、今、日本やアジアの民俗芸能をリサーチしていてすごく響く言葉でした。近代以降の「個人」という概念=individual=in / dividual=「これ以上分けることができない」という身体を問い直すこと。家族、ご近所、地域社会にある「分ち難い身体性」を再確認し、また、その身体性を政府や企業に回収されずに、自治していく、というのが私の気づきでした。
Panasonicの金村さんとは、東大の公開講座「市民社会再生」以来の再開。公開講座のときは、事務局運営での接点だったので金村さんご自身が携わっているNPOサポートの話を深く聞いたことがなかったんですが、改めて聞くと、すばらしい仕事をされているなぁと思いました。NPOのキャパシティビルディングは、認定NPOや寄付税制が改正されて、ますます重要になるでしょうね。
最後のセッションは私が進行役をさせてもらったんですが、楽しませてもらいました。釜ヶ崎のおっちゃんたちから、本当にいい言葉が聞けました。「アート」なんて一言も出てこない発言ですが、おっちゃんたちがココルームに行って、上田假奈代さんと一緒に詩を作ったりすることが、おっちゃんたち自身の人生をどれほど変えて、どれほどコミュニティを支えていることになっているのか。例えばそうしたことが、大阪で、アーツカウンシルや大阪市立近代美術館を作ることと、どのように関わっているのか。私は、改めて、すごく関わっていると思いました。
いま、そのアートと社会の接点で求められているのは、多様性、リアリティ、つながり、ということなんだなぁ、と思いました。

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