たぶん、宮本先生のことを語るときに、吹奏楽の指導者としての宮本輝紀の功績を語ることがほとんどだと思います。実際その功績は、洛南高校吹奏楽部だけはでなく、京都、関西、いや、日本レベルで語られて然るべきだと思います。
でも、私が尊敬する宮本先生のもう一つの顔は、高校の音楽の教員であった宮本先生です。高校で、男子校で、そこそこの進学校で、一般的な音楽の授業がどんなものか、私は想像するしかないのですが、たぶん宮本先生の音楽の授業は、その一般的なものとはかなり違っていた。
少なくとも私が受けた授業では、クラス全員が大声で歌を歌っていた。宮本先生の弾く伴奏ピアノ(これがホントに上手い)にのせられて、音痴であろうとなかろうと、楽譜が読めようと読めまいと、全員が大きな口を開けて声を出していました。歌い終わるとスカッとしました。
あと、音楽の教科書に載っていないような、ほとんど宮本先生の趣味だと思うんですが、いろんなレコードを聴かせてくれました。クラシックだけでなく、ジャズや現代音楽も。宮本先生の授業で初めて聴いて、それを中古レコード屋さんに買いに行ったことも、ジャズ喫茶でリクエストしたこともありました。
あと、テストも楽しかったなぁ。軽妙なマーチが校内放送に流れて、宮本先生のアナウンスで、イントロ当てクイズみたいなテスト。当時のヒットソングも出題されたりして、宮本先生のコメントが毎回笑えました。
私が音楽の授業で忘れられないのは、クラス全員で「マイ・ウェイ」を歌ってたときのこと。クラスのみんなは気持ちよく歌っているんだけれども、教科書に書かれた譜面の通りには歌っていない部分があったんです。私は、自分は譜面が読めるんだという多少の自負心から(笑)、ひとりだけ、譜面通りに歌っていたんです。そしたら宮本先生、歌い終わってから、私の目を見ずに「ええか。譜面のとおりに歌うよりも、みんなで声を合わせて、気持ちよく歌うほうが大事なことやぞ」と。
本当に、宮本輝紀という人は、素晴らしい音楽の先生でした。いや、素晴らしい音楽家でした。
3 件のコメント:
私は今年で50になりましたが、私達の時もそうでしたね。おそらく、今もこれからも一途にそうしていかれるでしょう。そしてまた私達の前に姿を変えて現れることと思います。良い記事を読ませて頂きました「ご機嫌やね!」
http://wobatake.exblog.jp/12014215/
先輩、コメントありがとうございました。
ブログも拝読しました。生前の宮本先生とのお付き合いの話を、まるで宮本先生の声が耳に届くかのように読ませていただきました。
そうですね、宮本先生の教え子は、宮本先生の「役」を次の世代のためにやらなければならないのですね。
「木は縄で支えれば真っ直ぐ伸びるように、聖人の教えに従えば、みずからその行為が正しくなる。人の忠告を受け入れて、はじめて立派な人間になるというのに、そのことは今は空しいものとなっている。」空海・三教指帰
頑張りましょう。
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