7.29.2010

科研費を例にして考えました

文化庁の、芸術活動に対する助成が「自己負担金の範囲内」というルールがある、ということは、助成を受けるに値する芸術活動とは、助成金額と同等かそれ以上の自己負担を伴うものだとする考え方が、文化庁にはあると思います。
例えば、科学研究費補助金、通称「科研費」(独立行政法人日本学術振興会による)をネットで調べてみたところ、「 平成22年度科学研究費補助金公募要領」を見る限り、研究種目によって助成する額の目安や下限から上限の範囲は指定されていますし、補助金の不正な使用に関してはかなりデリケートなようですが、「自己負担金の範囲内」に相当する考え方は見当たりません(もし間違いがあったらどなたか指摘して下さい)。例えば、科研費が、大学や研究者に対して「あなたが身銭を切る金額と同じかそれ以下の金額だったら助成してあげます」という制度だったら、どうだろう?研究するモチベーションを維持できますかね?
学術研究と芸術活動とは、社会的な価値が違うんだという見方もあるでしょう。学術は、日本の将来のために欠かせないけれども、芸術は、日本の将来とは関係ないんだと。そもそも社会が芸術を必要としているという考え方であれば、「自己負担がないと助成しない」という考え方にはならないと思うんです。「社会には別に芸術なんてなくたっていいんだけれども、どうも芸術の好きな人たちだけでは経済的に成立しないらしいし、そりゃまぁ可哀想だから、多少は税金を出してあげてもいいよ。でも、まぁ趣味の延長で好きでやってんだから、税金と同じ額を身銭を切るくらいの痛みは当然でしょ。小さい頃からピアノとか絵とか習ってそこそこお金持ちの家系だろうし、今だってお金持ち相手に芸術やってんだから」と言われている感じがする。
私は、そうした芸術に対する先入観に対して、実態を丁寧に説明しなければならないと思いますし、「将来のために」という点では学術と芸術は対等に必要で、今の社会こそが芸術を必要としているということを強く言いたいです。文化庁も、それを国民に説明する役割があるはずだと思います。だからこそ、文化庁の助成制度で「自己負担金の範囲内」という考え方を撤廃してほしいです。そんな修正もできないことの方がおかしいし。
あと、日本版アーツカウンシル(仮称)の検討を早急に。独立行政法人日本学術振興会がモデルでいいかどうかは分からないけれども、少なくとも独立行政法人日本芸術文化振興会は、日本学術振興会と同じような機能になっていないし、国との関係もまったくアームズ・レングスになっていないし。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

自己資金の範囲内ということばの意味は分かりませんが、これは「興業」であれば、可能性としてはありえるように思います。赤字を前提ではなく、収益性が十分ではないが、公共性があるので、経費を補填するというようなものでしょう。

しかし、芸術振興の事業そのものに対しては、自力で売上げを作れないという性質上、全くおかしいと思います。

科研費でも、研究費は後者で、研究成果公開促進費(いわゆる出版助成金)は、「興業」の要素があるので、前者(自己リスクを前提とする)という考えになり、それぞれが別の論理になると思います。

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blogerのコメントの投稿の仕方がよくわかりません。何度も同じものを投稿してしまっているかもしれません。お許しを。

blogerの説明が非常に不親切だと思いました。よけいなことですが。

大澤寅雄 Torao Ohsawa さんのコメント...

匿名さん、コメントありがとうございました。とても有益な情報をありがとうございます。
先に補足しますと、「自己資金の範囲内」とお書きになっていますが、正確には「自己負担金の範囲内」です。たしかに「自己資金」と勘違いされる方も多いと思うんですが、文字通り「自己負担金」=赤字がないと助成を受けられない制度なんです。
科研費の「研究成果公開促進費」は、まだ私は細かく読み取っていませんが、ざっと目を通したところ、「応募上限額」は「直接出版費(印刷に係る経費)から図書の売上げ収入見込みを差引いた、当該学術図書を刊行するために必要とされる経費として要求できる補助金の上限額です」とありますので、「自己負担金の範囲内」という制約はないようですね。そこが、今回問題になった文化庁の助成金と異なる点だと思います。
結果的に、助成金を受けても自己負担金が発生するということはあると思いますし、それに対して「資金調達努力が足りない」という意見もあることは理解できます。が、自己負担金=赤字がなければ助成金を受けられない、とこととは、全く違うことだと思います。

匿名 さんのコメント...

失礼いたしました。

>「自己負担金」=赤字がないと助成を受けられない制度

これは、赤字が出た時に、その分を補填することを意味していて、事業を行う側からすると、赤字を補填することを前提に事業を行うことになる、あるいは補填分としての金額を受け取ること、むしろ、収益の前提にしてしまう傾向があるというようなことでしょうか。

話しが全然違うのかも知れませんが、落語協会が、助成を返金したということがあったと思いますが、事業者が使いにくい仕組みというような共通点があるのか、それとも全く別の理由なのか、というようなことも気になります。


追伸

匿名しか選べないのですね。匿名でなくても構わないのですが、通りすがりのコメントのようなふぬけのコメントなので...

大澤寅雄 Torao Ohsawa さんのコメント...

ありがとうございます。

>事業を行う側からすると、赤字を補填することを前提に事業を行うことになる、あるいは補填分としての金額を受け取ること、むしろ、収益の前提にしてしまう傾向があるというようなことでしょうか。

前半部分はそのとおりだと思います。「あるいは・・・」以降が分かりにくかったんですが、「収益」というのは、収入から支出を引いて残高が残るという意味だとすると、それは前提にできない制度設計になっています。
例えば助成申請時には自己負担金=赤字と、その同額以下の助成金が予算計上されていて、事業実施後の決算時点で、収入が予算を大きく上回り、助成金を受け取ると自己負担金は解消される、あるいは残高が発生することになる場合でも、文化庁に決算報告書を提出した時点で、助成交付金額が変更になり、あくまでも「自己負担金の範囲内」として交付されると思います。
このことは、日本オペラ連盟で問題になったような「予算時の経費の過剰見積り」という問題だけでなく「決算時の収入の過少報告」という問題の要因にもなり、結果として、不健全な経営を誘発していると思います。
落語協会のニュースは、助成の制度設計の問題とは別で、公益法人としての義務を怠っていたということですね。
http://rakugonews.com/2008/09/02/%E8%90%BD%E8%AA%9E%E5%8D%94%E4%BC%9A%E3%81%8C%E6%B1%BA%E7%AE%97%E6%9B%B8%E6%9C%AA%E6%8F%90%E5%87%BA%E3%81%A7%E5%8A%A9%E6%88%90%E9%87%91%E8%BE%9E%E9%80%80/

追伸
匿名でもまったく構わないですが、「ログイン情報を選択」で「名前/URL
」は選択できませんかね?

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