先に書いたコミュニティアートについてその後も考えていて、昨日、ひらめいたことがありました。忘れないようにメモします。
人間の体には血管が張り巡らさせていて、そこには動脈と静脈がありますね。動脈は心臓から押し出される血液の流れる血管、静脈は心臓へ流れ込む血液の流れる血管。動脈と静脈があって、血液は体を循環することができるわけです。
たしか1年くらい前に、「動脈産業・静脈産業」という言葉を知ったんです。はてなダイアリーのキーワードによると「資源を掘り出し、輸入し、加工し、組み立て、物流網に載せて販売する一連の産業を「動脈」とするならば、使い終わった製品を回収し、再利用し、あるいは再生し、あるいは廃棄することに関わる産業のことを「静脈産業」という」そうです。
それで思いついたのは、アートと社会との関係が、私たち自身の血液と体に置き換えることができるとしたら、動脈アートと静脈アートというものがあるんじゃないかと。動脈アートは、アーティストからコミュニティや個々人に感性や価値を伝達させます。一方、静脈アートは、個々人やコミュニティから感性や価値をアーティストにフィードバックします。動脈アートと静脈アートが循環してこそ、健全なアートと社会の関係が維持できると思います。
例えて言えば、日本各地に文化施設を整備して、公演や展覧会が循環して、誰もが鑑賞できるようにする、というのは動脈アートのインフラではないかと。では逆に、静脈アートはどのような形態で出現するのか、と考えたときに「コミュニティアート」が例えの一つとして挙げられるんじゃないか。
そして、現在の日本社会では、どうも動脈アートの発達に比較して、静脈アートは未発達ではないかと感じます。それはたぶん「アートリテラシー」に直結しているのではないかと。とりあえずここまで。
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