1.24.2008

コミュニティアート

「コミュニティアート」という言葉が、いろんな文脈で使われるようになっていて、私の中ではちょっと混乱していたのですが、コミュニティアート船橋というNPOを運営されている下山さんのブログで、とても分かりやすく本質を突いた解説が書かれていました。
たまたま最近、Community Arts Network (CAN)というポータルサイトを見つけました。英語なので読むのが億劫だったんですが、その中に「
Community-based Art for Social Change」という文章がありました。「社会変革のためのコミュニティを基底においた芸術」という意味かな(すごい固い訳・・・)。この文章の冒頭には、このようなことが書かれています。「Community-based artは、個人や共同体の環境改善のために協働する人々から出現する、創造的な表現である」。そのあとをザザっと読むと、下山さんの言っていることにかなり近いと思いました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Toraoさん、こんにちは。

Community-based artというんですね。
日本でも、あと数十年くらいたてば、コンテンポラリーアーツ(arts)の語られ方も変わってくるんじゃないかなー、と思ってます。

あと、コミュニティアートは、「アート」という側面と、「民衆運動」という側面があり、後者の重要性があまり認識されていないように思います。
生活綴り方運動、識字教室などと同様に、人間の権利としてのアートを保障するという使命については、ようやっと1つのテーブルを囲んでお話することができそうな雰囲気を感じるので、近々何かやりますー。

コミュニティアート・ふなばしは、膨大な数のアートに関するインフォーマルなおしゃべりの場を設けてきているんですが、この形態と、上記のミッションは関連があるような気がするのです。

Toraoさんのご意見をおうかがいしたいところですー。


しもやま

大澤寅雄 Torao Ohsawa さんのコメント...

「民衆運動」としてのコミュニティアートの側面というのは、たしかに重要だと思いますし、これから認識は高まっていくんじゃないかと思います。
別の見方をすると、いろんなところで「アートの終焉」という言葉が見られるのですが、たぶんそれは、これまで聖典化されてきたアーティストやアート作品が、消費社会の中では経済的な価値で計られて、それ以外の価値が見いだせないというようなことがあると思うんです。その一方で、経済的な価値では計れないような、運動や運動体としてのアートが、新しい価値をもたらしてくれるような気もしています。
おそらく船橋が、新しい価値の発信拠点になる日も近いのではないかと・・・

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