5.18.2011

民俗芸能と3.11以降|芸能と地域の人々との関係

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私は以前、ホールや劇場の計画づくりをお手伝いする仕事をしていたことがあって、今でも様々な形でホールや劇場に関わっているし、これからも関わり続けると思っています。が、民俗芸能に接し始めたことで、ホールや劇場に対する考え方が大きく変わりました。
端的に言えば、近代西洋から日本に輸入したホールや劇場という場所は、まだ1世紀そこそこの歴史しかないのに、もの凄いスピードで各地に整備されて、地域の文化環境(もっと言えば生活環境)を変えてきたということです。
これから新しいホールが計画される自治体の、行政職員との初対面の挨拶で、たいてい「うちのまちには文化的なものがないし、私にも文化的な素養がまったくありません」と謙遜して言われます。しかし、何度か通って夜にメシを一緒に食べたりすると、地域固有の祭りや芸能の話になり、祭りのときは自分も公務員の顔を捨てて、踊り、歌い、羽目を外す話で盛り上がる。
そういう地域に、数年後、ピッカピカの新しい文化会館がオープンして、東京からオーケストラとかピアニストとか演歌歌手とかのど自慢とか、やったりする。それはそれで、私は嬉しい気持ちにもなりました。が、そこに何十年も、何世紀も前からあった芸能が、大きなプロセニアム舞台でスポットを浴びて、大きな客席に向かって演じている様子に遭遇すると、アレ?なんか違うような気がするなぁと感じます。明確に区切られた明るい舞台と暗い客席、開演ベルと場内アナウンス、観客は椅子に座り、演者は暗転板つき。そして、酔っぱらいが一人もいない。祭りや芸能の現場とは、まったく違うものです。
結局、ホールや劇場が新しく作られることと、その地域固有の文化とは、あまり関わってこなかったんじゃないか。関わっているとしても、大きく変質させてしまったんじゃないか。という気もします。
1世紀そこそこの歴史しかない器の中に、それを大きく上回る数世紀の歴史と記憶を背負っている地域の営みを閉じ込めること自体が無理なことかもしれません。ですが、いま、その数世紀の間、灯し続けてきた火が消えるかもしれないという地域は、相当な数になるでしょう。私は、民俗芸能の担い手不足も深刻だと思いますが、同時に、民俗芸能と地域の人々との関係も、伝達することが必要だと思うのです。それは、変わって当たり前の部分もあるだろうし、変わった方が望ましい部分もあるだろうけれども、「それは変わらないでほしい」と思う部分も、たくさんあります。
大震災の被害が大きかった三陸地方の雄勝法印神楽や黒森神楽は、民家を巡行し、集落の人々が庭や広間に集まって、食べたり呑んだりしながら、一日中、神楽を楽しむようです。
http://youtu.be/cqbc9KdKDQg
この映像の4分あたりから、まちの人たちが舞台を取り囲んで、舞を見ながら歌ったり、笑ったり、踊ったりしている様子があって、いまその笑顔を見るだけで泣けてきます。
そういう、民俗芸能と地域の人々との関係が、これからも続いて行くことを、祈っています。

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