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民俗芸能のリサーチを続けていて、自分にとって最も大きな気づきは、文化における「中央と周縁」について。
例えば、現代において世界の文化の中央として多くの人が思い浮かべるのは、ニューヨーク、ロンドン、パリ、もしかしたら東京もその一つかもしれません。それらは文化の発信拠点であり、経済や政治でも中央として見られることが多いわけです。
しかし、民俗芸能を見ていると、その「中央」は移動してきたことがよく分かります。例えば、舞楽という芸能は、日本の最も古い芸能の一つで、今でも国家行事でも上演されています。そもそも雅楽や舞楽が伝来した当時は、文化的な中央は中国大陸や朝鮮半島で、海の向こうから伝えられたものだったわけで、その頃の日本は東アジアの周縁だったとも言えます。
また、地方に残されている舞楽に、静岡県の森町の古式舞楽という芸能があります。701年が始まりだということですから、当時の中央である飛鳥から遠江国(とおとうみのくに)に伝えられたと想像しますが、現在、例えば明治神宮の春の大祭で見られる舞楽と森町の古式舞楽は、相当違うものです。そして、どちらが中国大陸や朝鮮半島から伝来した当時の舞楽に近いのか、少なくとも私には分からないのです。
つまり、文化における「中央と周縁」は、移動しつつ堆積し、過去の堆積の上に新しい文化が堆積するわけだから、中央と周縁の区別がとても曖昧だということに気がつきます。また、往々にして「中央」の文化には権威や権力が伴い、それが文化として高尚だとか、正統だとかという見方には、多分に政治的な思惑を伴っているということも言えるでしょう。
グローバリゼーションは、強力な中央が広範囲の周縁を取り込むシステムかもしれませんし、文化がそのシステムを促している側面もあります。が、一方で、周縁が自立し、個別に自立・自治をしながら緩やかに繋がることも、グローバリゼーションが加速させている現象でもあります。
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