4.06.2011

「何者か」のために表現する

去年あたりから、日本やアジアの民俗芸能を調べたり、現地に観に行ったりしているのですが、ずっと私が観たいと思っていて、まだ観ていない岩手県の宮古地方の黒森神楽も、今回の震災の影響を受けているそうです。
黒森神楽に限ったことではないですが、数百年間も受け継がれてきた芸能や文化には、それを享受する人間だけでなく、「何者か」に捧げられてきたわけです。例えば、ご先祖様とか、氏神様とか、固有名詞を持つ神仏聖霊とか。それらの「何者か」は、その捧げられた芸能や文化と共に、その地域の悲しい出来事にも、ツライ出来事にも、ずっと数百年間立ち会ってきたわけです。
たぶん、黒森神楽を捧げてきた神様は、数百年間の間には津波も、地震も、飢饉も、疫病も見てきただろうし、そこから立ち直る人々の姿も、地域の変わっていく姿も変わらない姿も見てきたはずで。同時に、神様が見てくれているから、人々も立ち直ってきたのだろうと。
だから、と言えるかどうか分かりませんが。
絶対に、伝え続ける必要があると思います。
民俗芸能や伝統芸能だけじゃなくて、あらゆる表現で、表現者自身の自己実現のため、観客や鑑賞者の癒しや慰めのため、世の中の善意や正義や大義のため、だけでなく、「何者か」のために表現する。あるいは表現することによって「何者か」に呼ばれたり、立ち会ってもらったり、「何者か」が立ち上がったり、表現に宿ったりすると思うのです。
ああ、黒森神楽が観たい。

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