3.08.2011

「政(まつりごと)」は「祭り事」でもある

私は最近、政治や行政に対して過度に期待しないようにしよう、と思っています。ただ、それでも、適度には期待したいと思ってはいますが、何だか、どんどん期待値を下げざるを得ない実状があって、大して税金を払っているわけでもないですが、この政治や行政に私が支払っている税金は適切な額なのだろうか、と考えてしまいます。そりゃあ減税を公約にすれば投票したくもなるわなぁ、とも思いますが、じゃあ減税すれば政治や行政は改善するのかどうかも分からないし、減税を公約に掲げた政治家に政策能力があるとも限らないわけで。
昨日、カミさんとテレビのニュースを見ていて、どうすりゃ政治を変えられるんだろうねえとブツブツ言っていたのですが、二人で共通の解決策にたどり着いたのは、政治家になる人の条件として、「お祭り」を仕切った経験のある人で、その実績を踏まえて一定人数の推薦を得た人であること、というのを考えてみました。
というのも、「政治」「行政」の「政」の字は「まつりごと」と読み、それは「祭り事」でもあったわけです。いま、政治や行政(あとマスコミも)にとっての「祭り事」とは、ある意味、選挙がそれに代っているような気もします。ですが、時代を遡れば、文字通りのお祭りを執り司る人が同時に政治を司っていたのだから、実際に、お祭りを取り仕切る手腕が、政治家としての評価にも繋がるはずじゃないか、と思ったわけです。少なくとも、選挙でマニフェストを掲げるよりも有効じゃないかと。
あと、そのことを考えたときに、お祭りの「花代」について思い直しました。私が住む藤野では、お祭りに対する寄付金のこと「花代」と言いますが、花代を納めた人の名前と金額を紙に書いて貼り出す慣習が、まだ残っています。私はそれを、花代を頂いた方への謝礼の気持ちを表し、花代を納めた人の自尊心を高めていると思っていました。
が、別の面では、誰から花代をいくらもらっているのかを公開することで、誰のための「祭り事」なのかということの説明でもあるのだなぁと思いました。そう思うと、花代を納めた人の名前を掲示するようなお祭りが残っている地域と、そういう祭りが残っていない地域では、自治意識の高さにおいて差があるような気もします。
というわけで、政(まつりごと)は、祭り事から始めましょう。

2 件のコメント:

takasaki さんのコメント...

私見ですが、私は政治に期待しないということは、国民に期待しないということとほぼ同義だと思っています。
あくまで、私見です。

大澤寅雄 Torao Ohsawa さんのコメント...

takasakiさん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。その意味を踏まえても、私はたぶん「過度には」期待しない、という姿勢を持ち続けるだろうと思います。
悲観的な意味ではなく、適度な期待を、適所に期待する、ということかな。

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