ちょうど去年の今頃に、愛知県東栄町の「布川の花祭り」という芸能を観に行って、それから1年間、各地の民俗芸能をたくさん観ました。たぶんホールや劇場で鑑賞した回数とどっこいどっこいかな。でも、記憶に残るもの、もう一度観たいものは、民俗芸能の方が多いなぁ。
大学時代に学んだ美学概論で、artの語源であるarsという言葉には「技術」という意味が含まれているということを知りました。日本語の「芸能」はどうなんだろうと思っていたところ、網野善彦の「無縁・公界・楽」を読んだときに、中世の「芸能」という言葉が現在使われているのは、狭義の芸能だけでなく、例えば建具師や鍛治のような、いわゆる職人技術をも芸能に含めていたので、そこに「ars」との共通点を見た気がしました。ところが最近、芸能には「技術」だけじゃなくて「呪術」という意味も含まれているんじゃないかと思い始めました。
ウチから車で30分くらいの所に残っている「鳥屋の獅子舞」という芸能は、戦前まで、その集落の長男しか踊ることを許されなかったそうで、その理由を尋ねたところ「誰にでも教えるわけにはいかないんだよ。呪力が弱まるからね」。
呪術とか呪力とか、何だか、怪しい、オドロオドロしい感じもしますが、多分それは、一見、表層や外形には見えない「内実」が深層に宿っているものなんだと思うのです。じゃあ一体「内実」って何なんだろう?
ううう、もっと観たいぞ。
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