蛭ケ谷の田遊びを観て、もう一つ考え直したことは、「多様性」という言葉も、文脈によって相対的に変化するということです。
蛭ケ谷の田遊びに限らず、有形無形の文化財は、存在し続けることで、ある範囲(例えば国や都道府県など)の文化多様性を維持することができるわけです。が、より狭い範囲に視点を向けると、その文化財を維持することよりも、新しいホール、劇場、美術館を作って、中央から有名タレントや有名な作家の絵を鑑賞することの方が、その町や村にとっての文化多様性に貢献することができる、という考え方もあるわけで。
多様性という言葉は、どこにフィールドを設定するかによって、同じ対象を維持するのか排除するのか、真逆の答えをだすことがあり得る、ということに気がつきました。
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