一昨日、Asia Interactive Reseachの中間報告を森下スタジオで行いました。ご参加していただいた皆様、本当にありがとうございました。ご案内が急すぎたり行き届かなかったりして、ご参加いただけなかった皆様、すみませんでした。でも、また何度もやります。このリサーチは、最終報告のない、延々と続く中間報告ということで始めていますので。
第1回の中間報告ということで、プレゼンも、議論も、実演や実験も、あまり形式や段取りを詰めないでやりました。良かったところもマズかったところもあったんですが、マズかったところは、次回修正しますが、まだまだこのリサーチの価値を伝えられていないなぁというのが私の感想です。
このリサーチに取り組み始めたときから今日までに、ものすごく多くのことを学んだし、ものすごく多くのことを考えています。今までの自分の価値観は何だったんだろう?というくらい。あまりにも、自分の文化の源流に無自覚だったことに気がつかされることの連続で、それまで無自覚に「自分の文化」と思っていたものが、いかに外的な圧力に曝されてきて、いまも猛烈な圧力の中にいることにも気がついたわけです。
それは、文化に対する懐古的、保守的な姿勢や、国家主義とか民族主義といった主義主張ではなく、むしろそうした姿勢や主義主張に疑いの眼差しを向けつつ、足下の地層や自分の遺伝子に何が刻まれているのかを観察する。もし断層や突然変異を発見できたとしたら、その要因が何なのかを突き止めたいのです。
Asia Interactive Researchは、ずーっと続きます。一昨日は時間の都合で見せられなかった映像があるので、近々、上映会をやろうと思います。
2 件のコメント:
こんばんわ。先日はまったく面識ない中お邪魔しました。
報告会お疲れ様でした。
九州出身者として、漠然と西と東との違いを認識していたものの、
高千穂と壱岐の神楽のタテの身体という手塚さんの指摘に、
なるほど!と思いつつ、
なぜそうなのか?を自分の中に問う時間でした。
また次回、期待しています!
くりはらさん、先日はお越しいただきありがとうございました。ブログを通じて関心を持っていただき、嬉しいです。
高千穂と壱岐の「タテの身体」なんですが、あくまで私の妄想なんですけれども、歴史の地層の奥深くに要因があるんじゃないかと。高千穂は、日本書紀や古事記の神話にゆかりがあるわけですが、そこには古代からずっと国家との関わりを意識してきたんだと思うのです。時代によっては、国家への所属という共同体の自意識が過剰になったことが、タテを強調することになったんじゃないかと思うんです。
壱岐にしても、元寇や日清戦争など、時代の地層が外圧による危機によって形成されていて、国家への所属を強く意識したり、逆に、国家がその場の支配を強調してきたんじゃないかと思うのです。
今では郷土の民俗芸能という素朴な言い方をしている芸能も、もしかしたら「国民教化策としての芸能」という側面があったり、それによって本来の身体が隠されたり歪んだりしたことがあったのではないか、という気がしています。
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