1.21.2011

国や時代の枠組みを疑って芸能を観察する試み-3

一昨日の晩は2人、昨晩は4人のアーティストがウチに寝泊まりして、Asia Interactive Researchの中間報告に向けて、獅子舞を舞ってみたり、いろんな民俗芸能の映像を見たり、議論したりしています。合宿所みたいで楽しいです。
Asia Interactive Researchは、手塚夏子が今年度からセゾン文化財団のセゾン・フェローを受けられたことで、多くのアーティストを巻き込んでリサーチすることが可能になっていますが、これはとても有り難いことです。
ほとんどのアーティストは、自分の作品を創ることと上演することにエネルギーを集中させて、それ以外の時間とエネルギーは、アート活動と日常生活を支えるための仕事に使われるわけです。それでも支えきれないから助成金に申請したりするわけですが、年間の活動全般に対する助成とか、リサーチのように上演以外の活動に対する助成は、私は国内ではセゾン文化財団以外に知りません。
アーティストにとってリサーチがどんな意味を持つのか、一概には言えませんけれども、今回、手塚のリサーチに私も参加して感じたのは、作家個人の表現のイノベーションだけでなく、アーティスト相互にそれを共有したり批評し合うことで、関わった個々のアーティストのイノベーションを促すことは、間違いない。そこから、ある種のムーブメントが浮上し、たとえ小さくても長い時間を経て、アーティストではなく一般の人びとの世の中に対する眼差しを変化させる。と思います。
今回、私は「国や時代の枠組みを疑う」というテーマのとおり、その枠組みというものが、いかに不確かで曖昧なものか、いかに恣意的に変化させられてきたかを、芸能を観察することで見えてきました。人間と同じで、これが「私」という形だと思っているものがいかに不確かで、その形を「私」以外の力によって変化させられてきたのか。まったく相似形だと思いました。
国の枠組みを声高に叫ぶ時代は過去にもあったわけですが、それによって芸能の形も変わってきました。その足跡や爪跡、あるいは手つかずに残された皮膚や骨や神経を、観察しています。

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