1.24.2011

公立文化施設の設置における「過半数の同意」の影響

私は以前、ホールや劇場の管理運営計画や開館準備のお手伝いの仕事をしていました。9年間携わった中で、ほとんどが市町村レベルの地方自治体による、いわゆる公立文化施設の設置に、たぶん数えてみれば両手の指の数くらいは関わったと思います。
その経験に照らしてみたときに、今後、「過半数の同意がなければ大規模な公の施設は設置ができない」とする法案が可決したら、どうなるのかを想像してみます。もちろん、一個人としてで、いかなる団体の考えでもありません。また、公立文化施設は「公の施設」の一部でしかありませんので、私の考え方をこの法案全体への意見として捉えるべきではないという見方もあると考えています。
これまで、公共ホールの計画が進行し、場合によっては設計が始まっていた段階で、住民投票で是非を問うことはあったようですが、計画の前提として「ホールをつくるべきか、つくらないべきか」を判断する住民投票を行ったことは、私は聞いたことがないです。地域住民の過半数の支持を得ないと設置できないとしたら、計画当初の基本構想や基本計画、つまり設計が行われる前に投票が行われることになるでしょう。
私は、地域住民の意向を伺うことは必要だと思います。ただ、投票という手段の前に、地域住民の主体的な議論を深めることがとても重要だと思います。議論を抜きにした投票で、過半数を上回ったからつくる、下回ったからつくらない、ということにならないように期待したいです。しかし想像できるのは、議論を尽くしたとしても、公立文化施設が新しく計画される件数は、従来と比較して、急激に、圧倒的に減るでしょう、ということです。
それから、過半数を上回らなければ設置できないとなれば、過半数を上回る支持を得られる構想や計画にならざるを得ないということです。支持を得やすい文化施設の構想や計画とは、私の過去の経験から一番考えられるのは「東京の文化に触れられる」ものに流れるでしょう。テレビに出ている有名な芸能人のコンサートとか、全国各地を巡業する有名な劇団とか、東京に行かないと観られない有名なオーケストラとかバレエ団とか、そういうものを、この地域でも観られますよ、というような構想や計画。
この法案がいう「大規模」が何の規模で、どこで規模の線を引くのかにもよるけれども、基本的に文化施設の場合、規模が大きければ顕著に「有名人指向」になるでしょう。なぜなら、それが一般の「市民ニーズ」でもあるだろうし、また、自治体の財政負担を抑制するような経営の自立とか、経済波及効果を期待できるとか、そういう論理が、公立文化施設のあり方として、まるで正しいかのように見えてしまうからです。
要約すると、新しく計画される公立文化施設の件数が圧倒的に減る、ということと、仮に新しく計画されるとしたら、東京文化の蛇口的な計画になるのではないか、と想像します。
ただし、「だから私は反対だ」とは言いません。そもそも、今までは首長や議会が地域住民の意向をきちんと反映して公の施設を作ってきたわけではなかった、ということに問題があります。それに、住民投票を行えば必然的に議論の輪も広がるはずですからね。
それにしても、この法案について、今までどこでどんな議論がされてきたんでしょうかね?

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