12.08.2010

「心の多様性」の保全

企業メセナ協議会の「メセナフォーラム2010」のメセナ・カフェに参加して、なぜ芸術文化が自分や社会にとって必要なのか、なぜ社会は芸術文化を支えるべきなのか、といったテーマで語り合ったときに、おそらく、もっとも数多く語られた単語は「多様性」だったんじゃないかと思います。
今年は国際生物多様性年ということもあって、多様性というキーワードはメディアでもかなり取り上げられたと思います。なぜ生物が多様でなければならないのか、ということは、環境、農業、食糧などの分野で語られる機会が多いのですが、それに比べると、なぜ文化が多様でなければならないのか、ということが語られることは少ないと思います。実際、私も説明するのは簡単じゃないなぁと思います。
たまたま最近、生物多様性をテーマにした文章で、なぜ文化が多様でなければならないのかのヒントになるものを見つけました。YOMIURI ONLINEの「生物多様性の保全と修復」と題した森川靖教授(早稲田大学人間科学学術院)の文章で、「生物多様性の保全に心の多様性保全を」という見出しの、以下の記述です。
地域に根ざした食物文化が徐々に消えていき、地域差がなくなることによって私たちの心の多様性が失われてくと思われる。この心の多様性の消失が結果として生物の多様性を消失させていくと考えられないだろうか。さらにいえば、人間社会・国際社会の健全な持続性を考えると、心の多様性保全がいかに重要かがみえてくる。
多様であれば異質なものは存在しないが、多様性がなく、一様に近いほど異質なものを排除しようとする。問題となっている学校でのいじめもこのあたりに原因があるのではないだろうか。大事なことは、生物の多様性保全を謳うのであれば、私たち自身のこころの多様性も謳い上げるべきである。
私は、上記の文章の「学校でのいじめ」は「緊迫するアジアの情勢」にも置き換えても成立すると思います。

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