12.01.2010

文化という無形の遺伝子の、継承と交配

つい先日から「地球最後の日のための種」というノンフィクション作品を読んでいます。文化を生態系として捉えたいと思っている私としては、非常に刺激になる本です。
長い間、自然環境の中では、動植物の遺伝子の継承や交配は自然に委ねられてきたわけですが、いま現在では、人の手で交配が行われる場合も珍しくありません。それは、より効率的で質の高い品種を求める場合もあるでしょうし、特定の地域の気候や風土に適した品種に改良する場合や、何らかの疫病が蔓延したときに、その疫病に対して抗体を持つ品種を作ろうとする場合もあるでしょう。
昨日書いたように、「文化」が「無形の遺伝子」だと考えれば、文化は人から人へと受け継がれるだけに、すべてを自然に委ねられているとは考えにくいです。が、継承や交配が無自覚なのか、自覚的なのか、という違いはあると思います。自覚的に交配するのは、文化的な営みやその果実を、政治的、経済的、社会的に利活用するためだったりもするでしょう。それが良いか悪いかを、一言では言えないと私は思います。人間による動植物の交配と同じように。
そこで「文化施設」。文化施設というのは、無形の遺伝子の継承であったり、様々な異種交配が、自覚的、無自覚的を問わず、常に行われている(はずの)場所だと考えられるんじゃないかと。
私が夢想する文化施設は、そこに住む人たちが、自分たちが住む場所に誇りを持ち続けるため、その土地に由来する無形の遺伝子を継承しつつ、その一方で、どんなに異なる価値観を持つ無形の遺伝子とも交配し、多様性を生み出す場所。という気がします。

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