11.09.2010

梅棹忠夫の「水道蛇口論」と「民衆文化館」

前のエントリーで、「公共ホールは東京からの水道管の蛇口でいいのか?」ということを書きました。そのことを考えていたのは今年の初夏だったのですが、実はつい先日、東京大学の小林真理先生がセミナーで、今年お亡くなりになった梅棹忠夫氏が生前に「水道蛇口論」を唱えていたという話を聞きました。そういえば、帝塚山大学の中川幾郎先生が批判されていたような気もします。すみません、なんか自分が思いついたような書き方をしちゃいました。失礼しました。
文化経済学会の論文集第6巻第1号に、立教大学の梅原宏司先生による「梅棹忠夫の文化行政論再考」と題した論文があって読んだのですが、そこに梅棹氏の「文化開発というのは、一種の水道建設です。要するに、末端までずっと配管をするわけです。各戸で蛇口をひねれば水がジャッとでてくる。文化行政は各戸に水を供給する仕事なのです」という言葉が引用されています。なるほど、この梅棹氏の言葉が全国各地の公立文化施設の整備につながるわけですね。
その同じ論文で、梅棹氏に「民衆文化館」(三等文化局、とも呼んでいたそうです)というアイデアがあった、という点が興味深いと思いました。「民衆文化館」というネーミングに、私は魅力を感じるのですが、「三等文化局」というのは「三等郵便局」という、現在の特定郵便局のような位置付けの施設をイメージしていたそうです。wikipediaで調べたら、「三等郵便局は明治時代に公費で郵便局を全国に設置することが財政的に難しかった中で全国にいち早く郵便制度を浸透させるため、郵便の取り扱いを地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させて、事業を委託する形で設置された郵便局である」そうです。
「三等」という等級概念があるのは、現在の劇場法(仮称)の案とも共通点があるような気もしますし「地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させて、事業を委託する」という仕組みも、中央から地方への上意下達的に制度に見えます。そして、その三等郵便局は特定郵便局となり、郵政民営化によって廃止・統合があったわけですし。
たぶん、梅棹氏の「民衆文化館」というイメージは、いま、各地にあるアートNPOやアーティストランによるオルタナティブスペースに重ねることができるんじゃないか。だとしたら、それらは国とは「無縁」のあり方を模索した方がいいのかもしれないなぁ。

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