11.08.2010

公共ホールは東京からの水道管の蛇口でいいのか?

首都圏某市で指定管理者の選定に関わらせていただいたときに、改めて公立文化施設の役割とは何かを考えさせられました。
文化施設の設置目的、ミッションに対して重要なことは、そこで何をやろうとするか、という事業の内容であり、その事業が実現可能な人材、予算をどう考えているか、だと思います。私は、その提案がもっとも重要視されるべきだと考えますし、選定委員会でも合意できていました。
しかし、応募団体の多くが提案してきた事業内容は、テレビでお馴染みの芸能人のコンサートや、東京で活躍する舞台芸術団体の地方巡業公演などの「鑑賞事業」を、提案の「売り」にするものでした。一方、市民が参加・参画するプログラムは「とりあえずやってます」程度のもので、どの地域のホールでも同じ提案をしていてもおかしくない。
これにはちょっと参りました。たしかに「鑑賞事業」に対する市民のニーズが多いのは分かるし、それも事業の一つかもしれないけれども、そのホールがそこにある存在理由はいったい何なんだ、と考えさせられました。
全国各地にある公共ホールは、まるで東京から水道管を引っ張ってきて蛇口をひねったら「文化」や「芸術」が流れてくる、そのための施設なんだろうか、と。一方、その地域には湧き水や井戸水がある(あった)はずで、そこでしか飲めない水を大事にすること、新しい湧き水を汲み上げること、枯れそうな井戸に呼び水を与えることは、公共ホールの役割じゃないのか、と。
私は、水は単に自分の喉の渇きを癒すためのものではないと思います。そこに湧き水や井戸があるから、きれいな水を維持するには、自分たちで水を汚さないようにしなければならない、ということに気がつく。けれども、水道管と蛇口が整備されれば、湧き水も井戸も必要なくなり、そこにしかなかった水の味は忘れられて、水道料金を払えば水道局が汚れた水を浄水してくれると思いこむ。いつの間にか、どんな水を飲んでいるのかも分からなくなる。
私は、これまでの栗東芸術文化会館さきらは、地域の湧き水や井戸水を、とても大切にしてきたのではないかと思います。これからも、湧き水や井戸水を大切にしてほしいと思います。

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