9.24.2010

無縁と芸能と公界(くがい)

網野善彦著「無縁・公界・楽」(平凡社ライブラリー)より引用させていただきます。
戦国時代まで遡ると、縁切りの原理は、江戸時代に比べてはるかに強力となり、単に夫婦の縁だけでなく、主従の縁、賃借関係の縁等々までも、切る力を持っていた(37頁)
この寺(※引用者注、正昭院という若狭の駆込寺)が鋳物師の住む金屋にあり、鋳物師・猿楽・山伏のような、広義の「芸能」(中世前期まで、「芸能」の語は、こうした手工業者や宗教者までも含む、広い意味を持っていた)に携わる人々の寄進によって支えられてきた(39頁)
「無縁所」と「芸能」「職人」とは、切り離し難い関係にあり、また「芸能」民と無縁の原理も深い関わりがある(45頁)
「公界寺」は(略)一族の縁につながる「氏寺」と、全く異なる原理に立った寺で、さきの「無縁寺」と同じ本質を持つ寺だったことは、明らかといってよかろう。とくにここで「公界寺」の僧−「公界僧」は、「能」−「芸能」をもつ必要がある、と強調されている点に、注目しなければならない。(略)「無縁」の世界、「公界」に通用するのは、まさしく「芸能」そのものだったのである。(65頁)
室町期に入ると、「公界」には「世間」「公衆」などの一般的な意味とともに、(略)積極的・自覚的な意味を付与され、両義並行して、戦国・織豊時代にいたるのである(121頁)
勝手な解釈ですが、短くすると、無縁と芸能は深く関わり、そこに公界という、中世の公(おおやけ)を支える場所や人が生まれた、ということだと思うんです。
これ、現在進行形のアートシーンにも見られて、例えば、廃校や空き店舗などの遊休施設に、なかば世俗の縁を切った若いアーティストが入り込み、そこに世俗の縁とうまく折り合えない人々が集まり、新しい縁が生まれている場面は、まさに現代の「無縁所」ではないか。
あるいは、今世紀に入って脚光を浴びている国内外の創造都市や創造産業の集積地が成立する過程で、この「無縁所」と近い性格の場の存在が、大きな役割を果たしているのではないか(中世の楽市楽座もそうだったし、あるいは海外にある自由都市もそうだったんじゃないか)。
リチャード・フロリダが「クリエイティブ・クラスの世紀」(ダイヤモンド社)の中で、「クリエイティブ・クラス」の集まる都市にはアーティストや同性愛者などの「ボヘミアン」の数と相関関係がある、そうした人が求めるのは、空き倉庫や廃工場といった「古い皮袋」だという説は、「無縁所」にも参照できるんじゃないか。
うわー、妄想が広がるねえ。

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