8.04.2010

ネグレクトの連鎖

大阪で発生したあのニュースがきっかけで、「ネグレクト」という言葉が、もはや育児放棄を意味するということを知りました。
でも、英語本来の意味の「無視する」という言葉の意味に戻ると、若い母親が、自分の二人の子どもをネグレクトしたというだけの事件ではないと思います。いくつものネグレクトが連鎖し、重なり、あのマンションの1室で起きたことが表になったわけです。そう、たまたま。
昨日、たまたま池袋で仕事があって、昼過ぎに、池袋駅に向かいました。ふと気がつくと、駅近くの交差点の、信号と歩道のガードの影に、痩せ細って黒く日焼けしたおじいさんが、アスファルトの上に寝ていました。猛暑の中で寝ているおじいさんの周囲を、無数の人たちは、ほんの1秒くらい視野に入れて、そして通り過ぎていました。
私が、じいさん、だいじょうぶ?と声をかけたら目を開けて頭を起こし、眼が合いました。もしかしたら酔ってたかもしれないけど、意識はあった。水でも持ってこようかと聞いたら、おじいさんは、いや、と答えてまた目を閉じました。
私は、その場を離れて地下鉄の改札に向かって階段を降りましたが、モヤモヤしたので、キヨスクでペットボトルの水を買って、おじいさんのところに戻って、別に飲まなくてもいいけどここに置いとくから、と、寝ているおじいさんの足下に水を置きました。おじいさんは、頭を起こして水を見ましたが、手を伸ばそうとはしませんでした。私は、地下鉄への階段を降りました。
いま思うと、一旦、地下鉄の改札に向かったときにモヤモヤしたのは、自分が「加害者になりたくない」と感じていたのです。もちろん、通り過ぎただけで加害者だと言われることはないんですが、あの大阪の事件で、2人の幼児だけじゃなく、その母親に対しても行われたであろう、ネグレクトの連鎖に、自分は加わりたくないと思いました。
人と人とのネガティブな関わりの連鎖は、必ず弱者に向かってネガティブなエネルギーが増しながら蓄積されていく、というのは、手塚夏子の関わりの観察から得られた実感。私も、間違いないと思います。

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