7.27.2010

アートは教育や福祉やまちづくりに利用されるためにあるわけじゃない。ただ、ミツバチの生態を例にして考えてみます。

文部科学省が今年度から開始した「芸術表現を通じたコミュニケーション教育の推進」という事業や、それ以前から(財)地域創造が行っている「公共ホール音楽活性化事業」「現代ダンス活性化事業」「演劇ネットワーク事業」という事業や、自治体、企業メセナ、NPOなどの取り組みで、教育、福祉、まちづくりなどにアートを活かすという事例が紹介されています。
これらの事例は、文化政策やアートマネジメントの分野ではよく議論されているし、ある面ではそういう潮流があると言ってもいいと思いますが、アーティスト自身は、この潮流をどう考えているのだろうか、と思うこともあります。というのは、「別に教育や福祉やまちづくりに利用されるためにアートをやっているわけじゃないよ」という考え方も、当然あると思うのです。
私は常々、アートと社会の関係を「生態系」として考えたいと思っています。それで、アーティストをミツバチに例えて考えてみます。ミツバチは植物の受粉を促しますが、受粉のために飛び回っているわけではなく、ミツバチとして精一杯生きているうちに、受粉という営みが結果的に発生しているわけです。また、ミツバチは、巣に蜂蜜を蓄えますが、人間に蜂蜜を提供しようと思って蜜を蓄えているわけではなく、ミツバチとして精一杯生きているうちに、結果的に蜜を蓄えているわけです。
ミツバチ自身は人間社会の役に立とうなんて、これっぽっちも考えちゃいないけど、結果として、ミツバチは人間社会にとって例えば農作物の収穫や蜂蜜の採取に役割が生じているし、ミツバチにとって持続可能な環境を維持するために、人間もミツバチに対して役割が生じています。
これが、自然の中で何の作為もなく、バランスが保持されていれば問題ないわけですが、そのバランスが悪い時に、ミツバチと人間の関係や共存している環境に目を向けなければならない。「いやいや、バランスがに問題があっても自然に淘汰されるのが自然だから」という考え方もあるかもしれません。が、そうなるとおそらくミツバチのいない畑や土地が生じるし、そうした考え方によって失われる生態系は、結果的に人間も生きにくくなることが想像できます。
だから、生態系に目を向ける。ミツバチと人間だけでなく、植物のある畑、巣が作られる場所、ミツバチと人間が関わるあらゆる動植物や環境に目を向けて、安定したバランスの自然に返していく、ということが考えられます。
ここまでの例で、ミツバチと人間の関係を、アーティストと社会の関係に置き換えれば、私が考えていることは伝わると思います。基本的にアーティストは、教育や福祉やまちづくりなどのために芸術活動をしているわけではないですが、生態系として捉えると、アーティストは社会にとって何らかの役割を持っているし、社会もまたアーティストに対する役割があるはずだと思います。
あと、ミツバチも、アーティストも、「毒針」があることは、とっても大事だと思います。毒針には毒針の役割があるからです。

2 件のコメント:

オガワ さんのコメント...

本当にそうですね、ダイサンセイです。

「ミツバチ」には「果樹園だけが世界じゃないかもよ」って、
もっともっと伝えたいし、
「人間」の側には、「それ、実はミツバチの大好物なんすよ」
といろいろ教えてあげたいです。

さあ、比喩のわけがわからなくなってきました。すいません。
しかし、それにしても、各方面から何かとよく刺される私です。

大澤寅雄 Torao Ohsawa さんのコメント...

オガワくん
そうそう、うまい比喩ですね。ちゃんと理解できます。
オガワくんが各方面から刺されちゃうのは、しょうがないね。閉ざされた生態系を開こうとすれば、ミツバチ以外にも刺しに来る虫はいるでしょうからね。
ちなみに、本物のミツバチの話なんですが、携帯電話の放射する電磁波などがミツバチの減少に影響をあたえているらしいですよ。http://www.cnn.co.jp/science/AIC201007010018.html

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