6.03.2010

いい年した大人が「空き地」で遊んでた

先週の金曜と土曜、JR武蔵小金井駅から歩いて5分くらいのところに新しくオープンした「小金井アートスポット シャトー2F(ニーエフ)」で、「プレオープニングイベント 空き地 vol.1」という企画があって、手塚夏子も参加するので土曜日に見に行きました。企画したのは、ダンサー・振付家の神村恵さんと、捩子ぴじんさん。
この企画のコンセプトがすばらしい。webサイトから転載させてもらいます。
都会と郊外の狭間にある未知数の土地、小金井をアーティスティックに活性化すべく、武蔵小金井に新たなアートスポットがオープンします。
そのオープニングと連動して、自主企画シリーズ「空き地」を始めます。建設と再開発に沸く都市の産物“空き地”は、地面と平行な“作って壊す”諸事に左右されない垂直な潜在性として存在します。新たな価値観と宣言が日々立ちあがると、そこに挟まれた隙間が顕在化されるでしょう。そしてそれらを崩す可能性をその隙間は吸引し続けます。
“さいきん空き地見ないねー”と人は言いますが、ありますよ、空き地。ここにあります。空き地に入って遊んでも、多分怒られません。
この言葉にグッときた。そしてイベントも、すごく楽しかった。爽快でした。その空き地では、いい年した5人の大人が、かなり真剣に遊んでいました。ワケの分からない遊びもあるし、かなり危険な遊びもある。誰にも、何からも強いられない遊び。こうやって遊びなさい、とか、こんな遊び方がありますよ、とか、そういうお節介な人も情報もない。ただただ、いい年をした5人の大人が、必死になって自分の遊び方を追求して、空き地で本気で遊んでいました。
以前から気に掛かっていた本で、建築家の青木淳氏による「原っぱと遊園地」という本を、読まなきゃいけないなぁと思いました。概ねの内容が、ここに紹介されています。おそらく青木淳氏によれば、「空き地」は「原っぱ」に近いんでしょうけれども、「空き地」は都市の中にあって、誰の所有で誰の管理なのかが曖昧で、入っていいのか悪いのかも曖昧で、入ると何か危険な感じがしたり、怪しいものがあったり、隣近所から叱られないかドキドキする。そういうのが、面白い。
ちょっと話は変わりますが、劇場やホールを、青木淳氏が言うところの「遊園地」として考えるのか、「原っぱ」として考えるのか、によって劇場法(仮称)の見方も変わるのかもしれない。が、たぶん私の関心事は「すべての建築は道から進化した」(青木氏)という、その「道」が、どのように作られるべきなのか、ということなんだろうな。
あ、シャトー2Fで、今週末こんなイベントがあって、私も参加します。よかったら、ぜひ。

0 件のコメント:

archive