昨日、野村誠さんの「老人ホーム・REMIX #1」が横浜のBankART Studio NYKであり、お手伝いに行ってきました。昼夜2回の公演でした。ご来場のお客様、ありがとうございました。
実験的で野心的な作品を並べたにもかかわらず、すごく楽しい、なんというか家庭的な雰囲気のあるコンサートでした。ワークショップの記録ビデオを編集し、映像の中でのお年寄りの演奏と、ナマの野村誠がピアノを演奏して音を重ねる、という手法。こう書くと簡単そうなんですが、実際には相当な編集作業だったんだろうなぁ。とくにビデオを担当した上田謙太郎くん、ホントにお疲れさまでした。上田くんの映像のセンス、とくにプログラム最後の「わいわい音頭変奏曲」での映像で、お年寄りたちの体の部分をズームアップした映像は、すごく美しかった。素晴らしかったです。
ワークショップの現場に立ち会ってきたアーツマネージャー、ワークショップコーディネーターの吉野さつきさんは、このさくら苑のワークショップの現場では、コーディネーターという役割や仕事を背負っておらず、実際、彼女はずっと自分が楽しいからさくら苑に何度も通っていたそうです。その吉野さんの、野村さんを中心としたアーティストと、さくら苑のお年寄りたちへの寄り添い方が、抽象的な意味で、作品の内声部を決めているような印象がしました。つまり彼女がメロディーやリズムを作るのではないんだけれども、その場の雰囲気をいつも温かいものにしているんです。たしか吉野さんは高校だったか大学だったか合唱をやってたと聞いたなぁ。たぶんアルトだったでしょ?とてもアルトな人だと思いました。
さてさて、野村さん。夜の公演のアンコールで、彼が11才のとき、30年前に作ったというピアノ曲「たぬきときつね 」という作品を聞いたときに、11才の彼と今の彼とあまり変わらないということに驚いたというか笑えたというか。ということは、30年後の70才の野村さんも、あんまり今と変わらないんだろうなぁ。あんな面倒な年寄りの世話はしたくないなぁ(笑)。でも、きっと楽しいから世話する人もいるんでしょう。
今回のコンサートは、相当忙しいスケジュールの中で、作曲と初演の練習をしてきたようですが、昼公演と夜公演の2回で、たぶん何か手応えがあったんじゃないかと思いました。この作品の手応えでもあるだろうし、死ぬまで音楽家として生きていく手応えがあったんじゃないかと。まぁ野村さんは生まれたときから死ぬときまで音楽家であることには違いないでしょうけれども、音楽であれどんなジャンルであれ、アーティストやクリエイターとして人生を全うすることって、本当に難しいと思うんです。とくに日本では、アーティストやクリエイターに対する経済的な条件とか社会的な評価が非常に貧しい環境だと思うから、なおさらなんですが。でも最終的には、本人が、創作したり表現したりする、それこそ野村さんのいう性(さが)を保ち続けられる「何か」が必要だと思います。その何かを、昨日、手応えを感じていたんじゃないかと思いました。
いろんな意味で、老人ホーム・REMIXは「人生」を抱えた作品として誕生したと思いました。これは、ぜひ再演を重ねてほしいです。また、引き続き、新しい作品がさくら苑から生まれるように、期待しております。
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