3.31.2010

ホールと地域にとって「子はかすがい」

日曜日、栗東芸術文化会館さきらでのアーツマネジメントセミナーで、「ジュニアオーケストラが生まれる」と題した集まりに参加しました。さきらでは、5年前から地元の子どもたちを対象とした「さきらジュニアオーケストラ・アカデミー」を開催していて、このたび、本格的に「ジュニアオーケストラ」を結成するとのこと。そこで、子どもたち自身が、どんなオーケストラにしたいのかという話を聞いてみよう、ということでワークショップ仕立てのディスカッションを行いました。
模造紙と付箋紙を用意して、こちらが質問したことに子どもがマジックで付箋紙に答えを書き、全体の傾向をみたり、ユニークな回答について質問したりして進めました。厳密なKJ法のスタイルではなく、とにかく子どもたちが退屈しないように、また、小さな声でも拾えるように、そういう進め方をしたんですが、私としては楽しい雰囲気で進行ができてホッとしました。
実は私の狙いは、「どんなオーケストラにしたいか」というところにたどり着く前に、栗東という地域、さきらという公共ホール、オーケストラや音楽と、子どもたちの接し方を見てみたかったので、かなりクドい質問をしていたんですが、それでも聞いてみると楽しかったです。子どもたちが、さきらに対して思った以上に愛着を感じているし、音楽やオーケストラに対してもとても高いモチベーションを持っていました。そして、子どもたちとホールや音楽との関係に影響を受けて、保護者もそこに生き甲斐や目的を持つことになっていました。
「オーケストラがなくなったらどうする?」「さきらがなくなったらどう思う?」というような質問をしたところ、ある子どもは「私の将来の夢が消えてしまう」と答えてくれました。ある保護者は「生きる目的がなくなってしまう」と答えてくれました。ある子どもは「オーケストラがなくなりそうになったら、しょめいかつどうをする」と答えてくれました。
前日の劇場法(仮称)についてのディスカッションでも、さきらだけでなく、一般的に公共ホールと市民が密に関わっているとは言いにくい状況を改めて認識しました。ですが、子どもは、その建物の前に大きな広場があればそこで遊ぶし、その建物の中に広いスペースがあれば走り回るし、そこにオーケストラがあれば楽器を弾いてみたくなる。そこに、例えば自治体の財政問題とか、行政不信とか、そういうことに子どもはまったく関係なく、ただ、楽しいからそこに集まり、遊び、学ぶ。そのことが、結果として、公共ホールと市民の関係を取り持つ役割になっているんだなぁと、改めて思いました。
「子はかすがい」ということわざのとおりだなぁ、と思いました。

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