最近の話から書くと、パートナーの手塚夏子が企画、オーガナイズしているワークショップ「試行と交換」というプログラムが横浜の急な坂スタジオで9日から始まりました。1月中の毎週土日にやってます。
これはどんな企画なのかということを説明するのは簡単ではなくて、短くいうと、ダンスだけでなく、演劇、音楽、美術などのコンテンポラリーなアーティストが、自分の創作活動において、試してみたい実験的な手法だとか、複数のアーティストの手法を交換してみるというようなプログラムです。
例えば日曜は、ダンサー・振付家の白井剛さんと、美術作家の高嶋晋一さんが、お互いの創作の手法について共通する部分や異なる部分を探り合っていて、そこに劇作家・演出家の岡田利規さんや手塚夏子が立ち会いながら、自分の言葉に変換したりする。これはもう、メチャメチャ面白い。
何が面白いって、アーティストという生き物が、どれくらい、「いまは言葉にならないもの、形にならないもの、目に見えないものについて、必死で捕らえようとしているか」という現場を目撃できるからです。これは多くの場合、まったくどうでもいい、とてもバカバカしいことにも見えるんですが、例えば、美術家の高嶋さんが「『いる』と『ある』とは、どう違うのか、体で表現できますか?」という疑問を提示すると、参加者は、ただ黙って立って「・・・これが『いる』という感じで、・・・これが『ある』という感じかな」てなことをやり、それをみんなで見比べて「うーん、やっぱ分かんねえなぁ」とか「あ、それそれ、たぶんそんな感じ」なんてことを、ずっとやってたりする。
この面白さは、うまく言えないけど、たぶん旭山動物園が、動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく「行動展示」によって、動物に対する人間の眼差しを変えたのと同じくらい、今月の急な坂スタジオで起きていることは、アーティストに対する眼差しが変わると思います。公演や展示という「形態展示」では絶対に見られない、ぞれぞれのアーティストにとっての切実な行為というか。こんなに、世の中はどうでもいい、バカバカしいと思うことに必死になっている人間が存在すること、それがきっとアーティストという生き物の役割だということに気がつくと、感動的なほどだから。
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