11.27.2009

経済学者のシューマッハの言葉

シューマッハ(E. F. Schumacher)という経済学者の「スモール イズビューティフル−人間中心の経済学」という著書の中に、以下のような文章がある、ということを、公開講座「市民社会再生」の受講生の鈴木さんに教えてもらいました。
「非経済的な価値を経済計算の枠組みの中に押し込もうとして、経済学者は費用・便益分析の方法を採用する。これは、通常全く無視される費用と便益を考慮に入れようとするものであるから、一般に進んだ方法と見られている。けれども現実には、これはより高次のものを低次のものに引き下ろし、値段のつけられないものに値段をつけようとするやり方である。・・・この方法では、せいぜい自分を欺くか、他人を欺くことしかできない。なぜならば、測れないものを測ろうとするのはそもそも無理であるし、既知の観念から当然の結論を導き出す、手の込んだ手法になってしまうからである。つまり、期待している結果が出るように、測れない費用と便益に適当な値段を無理につけるということになる。
だが、論理上のこの不合理が、この方法の最大の欠点なのではない。もっとタチが悪くて、文明を破壊しているものは、すべてのものに価格がある、換言すれば、カネが至高の価値だという主張なのである。

文化や芸術の「価値」とは何かを考える上で、とても示唆に富んだ言葉だなぁと。逆に、「すべてのものに価格がある」とする考え方は、一体どこからやってくるんだろう、ということも考えさせられました。
そういえば、「プライスレス」(pricrless: 非常に貴重な、金で買えないほどの、という意)という言葉が、どこかのクレジットカード会社のテレビのCMに使われていたっけなぁ。「金では買えない価値がある」ことへの共感によって、さらなる消費を煽る世の中になっているわけですね。シューマッハに言わせれば、それこそが文明の破壊なわけで。

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1 件のコメント:

suzuki さんのコメント...

おおお。ご紹介いただき有難うございます。

>文化や芸術の「価値」とは何かを考える上で、とても示唆に富んだ言葉だなぁと。逆に、「すべてのものに価格がある」とする考え方は、一体どこからやってくるんだろう

私も同感です。なぜ「価値」を一度お金に直してやりとりする必要があるのか、と思う反面、自分自身資本主義に染まり切っていてお金や価格というものに全く左右されずに価値判断が出来ているかといったらそうでもないということに気がつかされた文でした。

事業仕分けがホットなので尚更色々考えさせられます。

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