6.15.2009

少数民族の源流を辿る旅人の話(3)

前の話の続きです。
貴州省のミャオ族の別の部族では、女性がお祭りに被るカツラがあって、そのカツラの髪の毛は、自分の母親や祖母の髪の毛を紡いで作ったものだそうで、写真を見ても、ものすごく大きいサイズのカツラでした。
そのカツラを被って祭りで踊る様子を、Aさんは家庭用のデジタルビデオカメラで撮影されていました。踊っている様子の前後には、カメラを取り囲む村人たちの様子が移っていました。普通は撮影者が見るためのカメラの液晶画面を、180度回転して被写体に向けて撮影していたようで、カメラに写る自分の表情を見て恥ずかしがったり笑ったりする村人たち。目がキラキラと光っていました。
Aさんに写真やビデオを見せてもらって、その時は、いま現在もこういう生活の営みをしている人々がいるのか、という印象だったんですが、最近、その話を再び手塚夏子と振り返ったときに、ああいう生活とか文化が、実はつい最近まで日本にもあって、江戸時代から明治時代に移行したときや、戦後の高度成長時代に、まるでミャオ族が銀細工を人に手放していくようにして、日本人も生活から文化を手放していったんだろう、と。言わば文化を手放すのと引き替えに経済的な成長や安定を手に入れて、世界で最も長寿国になった一方で1年に3万人を超える自殺者がいるような世の中にもなっているわけだからね、と。
ミャオ族で、いま独身の女性が、結婚して娘に銀細工を受け継ぐことができるのか。あの大きなカツラを被った女性は、自分の髪を母親の髪と紡いで娘にカツラを受け継ぐことができるのか。2年ほど前から藤野に住み始めた自分がまだ習い始めたばかりのお囃子を、息子も受け継ぐんだろうか。ということを、少数民族の話から考えたりしました。

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