2.17.2009

「未知との遭遇」を観て、思ったこと

来週の2月27日(金)と28日(土)、東京の門前仲町にある門仲天井ホールというところで、パートナーの手塚夏子が「プライベート トレース 2009」という作品を上演します(詳細→http://natsukote-info.blogspot.com/2008/12/blog-post_26.html)。その公演チラシに、手塚は以下のようなコメントを書きました。

「未知との遭遇」という映画があって
とても小さかった時に見た記憶がある
空からある光を浴びた人々が
何かに突き動かされるように
富士山みたいな形の山を
描いたり立体物をつくったりして
そのうちにその実在の山に引き寄せられて
行ってしまう
命を落とすものもいる
でもその光を浴びたからには
行かずにはいられない

そういう種類の欲求があって
現実に目の前に
見える形にしていこうと
もがく
何を求めているのか
定かでないにもかかわらず

私は、映画「未知との遭遇」を観たことがなかったのですが、この言葉を読んで、レンタルビデオでDVDを借りて観ました。
いやー、すごい映画ですよ。
何がすごいと思ったかというと、SFとしてすごいと思うだけじゃなくて、主人公の行為が、私には、アーティストという生き物の本質を、怖いくらい描写しているように思えたからです。
映画の中で、主人公が山を作ったり、山を登ったりする様子は、普通の人間にとっては奇行でしかない。けれども、彼はそうする以外には生きていけないんですね。アーティストが表現するのも、根源的には、そういうことだと思うんです。で、また厄介なことに、本人にも、もちろん周囲も「何を求めているのか定かではない」わけです。
でも不思議なことに、その「定かではない何か」を求めている人が、ほかにもいたりする。同じ光を浴びた人たちが、同じ山のふもとに集まったりするように。それもまた、アーティストに特有の不思議な生態だったりします。
幸いにも、「未知との遭遇」の主人公とは違って、手塚夏子の人格も、私たちの家庭も、崩壊していません。でも、手塚の作品づくりは、ある意味、奇行ではあります。何しろ、自分たち家族が会話しているわずか3分間ほどのビデオ映像の中の、手塚本人と、私の、身体の動きを正確に再現するという稽古を、何度も何度も、何度も何度も、繰り返しているわけで。これを近所の人が見てたら、相当、変な家族だと思うだろうなぁ。

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