12.04.2008

顔と顔コラム (7) 与太郎は、マヌケだからいい

(「顔と顔カフェ」の詳細→http://natsukote-info.blogspot.com
落語の話の続きなんですが、落語の登場人物に欠点のない人はいないということと、その欠点を受け入れたり、欠点が長所に逆転したり、相対化されたりするから、落語は面白いんだと私は思うんです。
粗忽な熊さんが、自分の粗忽ぶりを反省し、長屋のみんなに迷惑を掛けないように更生したりすると、まったく面白くない。マヌケな与太郎が、自分のマヌケさに自己嫌悪して、引きこもったり鬱病になったりすると、落語にならないわけです。
要するに落語は、欠点だらけの人間と社会との関わりを「笑い」に昇華させるわけですが、それと同じように、ほかの芸能や芸術にも、人間の欠点と思われる部分を、何らかの形で、自分自身や他人や社会が受けとめるように、昇華させる作用があるんじゃないか、と思います。
以前、たまたま目にしたニュースで、ある地方の劇団の演出家の方が、俳優として障がいを持つ方々(おそらく知的障がいだったと思います)を起用した公演を紹介していました。その芝居を観た観客の方が、「まるで障がいを持たない健常者のように上手に演技されて、感動しました」というような感想をインタビューで答えていました。たしかに、紹介された稽古の風景や公演の1シーンを観る限り、「障がいに負けずに努力すれば、健常者と対等な力を発揮できるんだ」というようなメッセージを感じました。
そういうメッセージも大事なのかもしれないけど、私は、どうしても違和感を感じるんです。そういうことなら、別に芝居じゃなくても、アートじゃなくても、いいような気がするけど。どうでしょう?

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