10.05.2008

市民社会と身体言語

先週の金曜、東大の公開講座「市民社会再生」に、舞踊家で農業家の田中ミンさん(ミンはさんずいに民)の講義を聴きました。
世界的な舞踏家でありながら、山梨県の白州という地域に住んで農業も実践されているミンさんですが、実は、私は講義の前の数分間、直接お話するタイミングがあって、面白い話を聴けました。
先週、ミンさんはインドネシアを訪れていて、インドネシア国内の車での移動中に、棚田のような段々畑の素晴らしい景観に遭遇したそうです。うれしくなって車を降りて畑まで行くと、荒れた畑は一つもなく、とても手入れが行き届いていた。畑の形状や広さを考えると、トラクターのような農機具での耕作は難しいだろうなぁと思ったミンさんは、畑で働いている現地の人に、農機具は使っていないのかと聞いてみた。すると現地の人は、機械は使っていないと答え、その理由を「機械を使うと、村人がケンカしたりして、村がバラバラになってしまう。そんなものは必要ない」と答えたそうです。
このミンさんの話と関連して、私はおもしろい経験をしました。
日曜日。最近藤野に引っ越してきた息子の保育園の友だちのお家が、まもなく新築されるのですが、家の外壁を自分たちで塗りたいとのこと。保育園のお母さんたちは、面白そうだから、みんなで壁土を塗るのを手伝おうということになったらしく、ウチのカミさんも手伝いに行きました。私も少し遅れて手伝いに行ったら、お母さんや子どもたちは、家の周りの足場に上って、ワイワイ言いながら両手に壁土とコテを持って作業しています。作業も楽しそうだし、作業しながらのおしゃべりも楽しそうでした。
で、私も壁土を塗ってみたら、これが案外難しい。コテに土を盛って、うっかりすると、壁に塗る前に地面にボテっと落ちてしまう。なので、コテの角度とか下から上に手を動かすのが慣れないとスムーズにいかない。
壁土の作業を終えて、ウチに帰ってきて、たまたまカミさんと、藤野囃子保存会の長老の、踊りの指導をしているビデオをもう一度見た。そしたら、ひょっとこの親子が、倉に壁土を塗る仕草が表現されている振りがあって、その部分で長老は「下から上にこうやって塗るんだよ」と教えていたのです。そうそう、そういう手つきなんだよなぁと思いながら見ました。
・・・で、私は何に気がついたかというとですね。
人間がコミュニティを形成するには、共通の言語(話し言葉や書き言葉)が必要だと思うんですが、それと同じくらい、共通の身体運動や身体感覚、つまり身体言語というべきものも、欠かせないんじゃないかと。労働の機械化や職能の細分化・専門家などによって、コミュニティに共通の身体言語は、急速に失われたんじゃないか。お囃子の中に、土を掘る、井戸を汲む、壁土を塗るといった振りがああるのは、そのコミュニティ共通の身体言語を伝えるためじゃんじゃないか、と。
市民社会の再生には、身体言語を見直すことが必要なんじゃないか、ということを、金曜日の田中ミンさんの話と週末の藤野の出来事から考えました。

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