9.16.2008

祭は、うまい酒を飲むためにある

日曜日のこと。藤野町の篠原という山里の、息子が通っている保育園で、藤野町内外の7つの祭囃子保存会が一同に会したお囃子の発表会があるというので、家族三人で観に行きました。
保育園の運動場にはテントの下に長机と椅子が置かれて、バーベキューの炭火コンロでは焼き鳥、焼きそば、モツ焼きが煙と湯気を上げて、ビールや焼酎が振る舞われていました。保育園の庇の下に太鼓が置かれて、そこで各地域の囃子保存会が順番に舞と演奏を披露しました。
先月の藤野神社の祭礼で見たお囃子をもう一度見たくて来たんですが、どの地域のお囃子も面白い。太鼓と鉦のリズム、笛のメロディー、面を付けた踊りは、源流は同じなのに、一つずつ違っている。
夢中で見ていると、法被を着たおじさんが声をかけてくれました。そのおじさん、2ヶ月ほど前、ダンサーの鈴木ユキオさんのウチに遊びに行って、スズさんが留守だったときに、声をかけてくれて向かいのお家に入れてくれたご主人でした。そういえば、あのとき、お囃子の稽古をしているから見に来ないか、と誘ってくれていた。「結構あんたも好きなんだねぇ」と、少し赤ら顔で上機嫌のおじさん。
おじさんの話では、藤野でお囃子が始まったのは明治時代で、当時、八王子から伝わったそうです。さらに源流を辿ると、目黒囃子というものらしい。第二次大戦後、昭和30年代には後継者がいなくなりかけたのが、昭和46年に復活したそうで、そのときは町で宝くじの助成金を受けて山車、楽器、衣装や面を購入したそうです。
一度、無くなりかけたお囃子を復活させるのは大変だったでしょう、と聞くと、おじさんは「そりゃそうだけどさぁ、昔はみんな農家で、年がら年中畑仕事をやってるとさ、うまい酒が飲めるのは、みんなで集まって祭をやるときしかなかったからさ」。
そう笑いながら話すおじさんですが、おそらく昭和30年代の藤野町では、切実な問題だったんじゃないかと思うんです。お囃子の後継者がいなくなるというのは、高度経済成長を迎えつつあった当時、若者が農村から都市に流出して、地域の活力が失われる状況を顕在化させることでもあったでしょう。人々の結束は弱まり、誇りは失われて、畑が荒れていく。それで酒がうまいワケはない。
お祭は、地域の人々が、自分たちの手で、自分たちの生活を豊かにするためにある。それが、そこに住む人の結束を生み、地域の活力を生む。地域に誇りが生まれる。だから、みんなで集まって飲む酒は、格別にうまい。
おじさんが「あんたもお囃子、やんなよ」と声をかけてくれました。そうなんです、実はやりたいと思ってたんです、と言うと「どこに住んでんの?小渕?だったらウチの吉原の保存会じゃなくて、藤野の保存会だ。あぁ、あの人が藤野の保存会の会長だよ、紹介するよ」と、トントン拍子に入会が。藤野囃子保存会の会長のおじいさんの話によると、いま現在、会員は小学校からお年寄りまで70人を超えているらしい。「こないだ入会して、来週からあんたと一緒に稽古に来る子は中学2年生だよ」と。
祭囃子の新人、37歳デビュー。ちょっと遅い?

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