8.13.2008

西成の暴動と公共空間

書き忘れていたこと。いつも拝読している作曲家の野村誠さんのブログに、チラッと、大阪のcocoroomの上田假奈代さんと、最近、西成でおきた暴動について話題になったことが書いてあって、え?そんなことがあったの?と思って検索しました。以下、7月30日の毎日.jpから。
ニュースUP:現場で考える 16年ぶりの西成暴動=社会部・堀江拓哉
◇生活苦、渦巻くうっ憤
日本最大の日雇い労働者の街・あいりん地区(大阪市西成区)で16年ぶり24回目の暴動が起きた。記憶に新しいと思うが、6月13日から6日間、断続的に労働者らが大阪府警西成署を取り囲み、機動隊と衝突した。労働者や警察官20人以上がけがをし、逮捕者は24人に上った。なぜ、あいりんで暴動が起きるのか。改めて背景や原因を考えた。
 「ここは本当に日本なのか」。目の前で繰り広げられる光景に息をのんだ。暴動は4日目に最大規模になり、約450人の労働者や若者らが集結。機動隊に向かって、空き瓶や歩道の敷石、自転車のサドルが飛んでいく。機動隊の脇にいる私の頭上で、カップ酒の瓶が電柱に当たり、割れた破片がバラバラと降ってきた。ふと近くを見ると、自転車が燃えていた。
(中略)
暴動のきっかけは、西成区の無職の男性(54)が6月13日夕、「昨日、警官に暴力を振るわれた」と同署に抗議したことだ。飲食店であったトラブルについて男性は署内で事情を聴かれ、その際に暴行を受けたと主張したが、署は「暴力は一切ない」と否定。男性から相談を受けた釜ケ崎地域合同労働組合の委員長、○○○被告(個人名なので伏字にしました←torao)(64)=道路交通法違反罪で起訴=が、署の前で「謝罪しろ」などと抗議演説を始めた。
(中略)
暴動のさなか、労働者に話を聞いた。「労働者は人間と思われてないんや」「憂さ晴らししたいだけ」「おれたちのことを忘れてもらったら困る」。表現は違っても、どの人もうっ憤がたまっていた。不安定な生活を送り、世の中に対する不満や不安でいっぱいの日雇い労働者たち。そのはけ口が示されたことで、一気に暴動へとつながったのだろう。きっかけとなった出来事について語る人は少なく、知らない人さえいた。
(中略)
暴動で目立ったのは、地区外から集まった10代後半の若者たちの姿だ。花火や煙幕を署に投げ込み、投石にも加わって騒ぎを大きくした。若い男女が「機動隊ってどっちから来るん? ほんまゲームみたいやわ」「祭りや。写メ撮らな」と話し、見るとカメラ付き携帯電話を構えていた。「騒ぎのための騒ぎだったのか」と疑問に思った。
(中略)
暴動が終わり、梅雨が明けた。あいりん地区に足を運ぶと、以前と変わらぬ平静さが戻っていた。だが、一皮むけば、そこには労働者のうっ憤が渦巻いている。根本的な解決を図らなければ、騒ぎは起き続ける。暴動の光景がよみがえり、そう思った。
毎日新聞 2008年7月30日 大阪朝刊

私が、不謹慎な言い方かもしれないけれども興味深いと思ったのは、64歳の男性が警察署の前で抗議演説が始めたことが暴動の火種になったことと、暴動の現場に地区外から集まった10代後半の若者のカメラ付き携帯電話の撮影です。こうした行動を批判するのは容易ですが、見方を変えると、それぞれの「公共空間での表現の欲求」でもあると思ったのです。
たまたま先日、ドイツ在住のジャーナリストの高松平蔵さんと話をしました。高松さんは、洞爺湖サミットでのデモの状況を見て、違和感があったと。ヨーロッパには、街の中心に広場があり、そういう場でデモも行われ、そこで価値観を表明したり、対立したりする。そこは言論の公共空間だと。日本には、そういう公共空間がないんじゃないか、ということでした。
私が西成の暴動のニュースで思ったのは、抗議演説のあった大阪府警西成署前も、若者が手にした携帯電話の向こうにあるインターネットも、公共空間であり、その中で切実に叫びたかった人がいたと思うのです。その一方で、公の施設という公的な空間、中でも公立の劇場やホールや美術館は、まったく公共空間として機能していないんじゃないか、ということを思いました。
上田假奈代さんが主宰されているcocoroomに加えて、dance boxremoという、日本でもっとも存在意義のあるアートNPO(と私は確信しています)が、昨年、西成の近くの新世界のフェスティバルゲートから、大阪市によって立ち退きを余儀なくされました。フェスティバルゲートにアートNPOが存在したことで、あの地域には公共空間があった。それが失われてしまったことと、今回の西成での暴動との間に、うっすらと因果関係を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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