8.19.2008

1年に約千人、15年に1人

私が、もっとも藤野町の文化がスゴいと思った、大石神社の人形浄瑠璃でのエピソードを紹介します。
15年間、この企画を主宰されてきた人形使いの吉田勘禄さんが、前半の演目のあとに、舞台上でマイクを持ってご挨拶されました。吉田さんは、「みなさんに紹介したい人がいます」と言って、舞台袖から黒子姿の少年を舞台の上に呼びました。
黒子姿の少年は、地元の藤野中学に通う14歳の中学2年生。彼の父親は、15年前からずっと、この人形浄瑠璃の実行委員会のメンバーでした。少年は、物心ついた頃には自然に人形浄瑠璃に親しんでいて、5歳の頃から人形使いになりたいと言い出し、中学2年生になったいまも、その夢は変わりませんでした。そして彼は、藤野中学校を卒業したら、大阪と東京の文楽劇場で修行に励むことを決心したそうです。
山村の神社で15年続けてきた人形浄瑠璃の公演で、その道を志す14歳の少年が1人、生まれたということは、本当に尊い出来事だと思いました。たぶん彼にとって、地元の人々が一生懸命支えてきた大石神社の舞台と、それを楽しみに大勢の人が、その日、いくつも山を越えてやってくるのを心待ちにしてきた経験は、東京や大阪の劇場で、チケットを買って客席で公演を見る経験に変えることはできないでしょう。
地元の人の話によると、毎年、この舞台を見に来る観客は7〜800人だそうです。そこに、地域の人々がボランティアで関わるわけですから、この舞台にはおよそ千人程度が関わっているでしょう。藤野町は人口およそ1万人、その中でも篠原地区は、小学校は廃校になり、バスは1日に片手で数えるほどの運行の過疎地域。そこで、1年に1回、およそ千人が関わって完成する舞台がある。これは何事にも変えられない大切な文化だと思うんです。
それと同じかそれ以上の価値が、今年、14歳の少年が人形使いを志したことです。もし、15年も続かずに、10年でこの舞台が途絶えていたら、きっと彼は、その道に進まなかっただろうと思います。彼が人形使いの道を志したことで、もしかすれば、この先の数十年も、篠原に住む人は、大石神社の舞台を支える意味を見出せたかもしれない。そして来年も、この先も、およそ千人が篠原と関わることになるのでしょう。
これが、藤野町の文化のスゴいところだと、私は思うのです。

-----------------
sent from W-ZERO3

0 件のコメント:

archive