7.10.2008

芸術のtransition

芸術のtransitionとして私が感じているのは、やはり社会との関わりにおいて現れていることなんです。
たぶん人類の歴史を遡れば、いま「芸術」と呼んでいるものの中には、例えば祈祷、治癒、統治などの手段だったものも多いと思います。それが、ある時期から芸術は何の手段でもなく、自己目的化してきたといえるでしょうし、商品化したとも言えるんじゃないかと思います。
近年、様々な社会の手段として芸術を活用する動きがあり、教育、福祉、地域再生といった領域に活用する事例が生まれています。芸術の自己目的性を全面肯定する側からは、こうした「手段としての芸術」に対して批判的な見方もあるかもしれません。ただし、芸術と人間の関わりについて歴史を遡れば、「社会にとって」は芸術が手段として使われてきたことは自明のはずです。もっとも「芸術家にとって」は、作品創造が社会の手段とされることを拒絶や反発したりする場合もあったと思います。
もう一つ、芸術のtransitionには、芸術作品の鑑賞者の能動性を促したり、双方向の仕掛けを作ったりするような、作品を介した何らかの「関わり」を生み出す傾向も指摘できるでしょう。「コミュニティアート」や「アートプロジェクト」という領域では、既存の場所や愛好家に閉ざされるのではなく、地域に開かれるための仕掛けが随所に見られます。
こうした芸術のtransitionは、人間のtransitionを先行して提示しているようにも見えます。つまり、個人の確立を追求してきた時代から、社会全体の中での個人の役割であるとか、個人と個人の関わりを、いかに創造的なものにするのかが、社会全体のtransitionに求められているのではないかと思うのです。

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