7月26日付のasahi.comの「橋下知事が芸術論『残る文化は必死さが違う』」。知事の発言には「需要があろうがなかろうが(文化に)お金をつぎ込むべきか」「残る文化と残らない文化の違いは、やっている人の必死さ」ということを言われています。
「需要があるかないか」と「必死か必死でないか」というのは、まったく違う評価軸です。必死だけど需要が少ない文化、必死じゃないけど需要が多くある文化もあるでしょう。需要については、それを見極めるタイムスパンが重要です。短期間で需要を見極めれば、使い捨て文化しか生まれません。必死か必死でないかを誰が判断するのか、何を以て必死に値する文化なのかも、決定的に文化のあり方を変えてしまいます。
あと、知事ではなくて参加した学生の「需要がなければ消えるのが当然。弱肉強食だと思う」という発言。本当にそうなのか、考えてみましょう。圧倒的な経済力や軍事力を背景にした文化的侵略(文化的虐殺という言葉もありました)が行われていることや、その圧力に対して命がけで闘う人がいるということも、知っておいた方がいいでしょう。テレビとビデオとハリウッド映画とディズニーアニメとマクドナルドとコカコーラがあれば幸せだと思う人がいたら、実際にそういう生活をしてみるのもいいでしょう。
とりあえず、今回の大阪府知事と学生との語り合いについて考えたことは、そんなところです。ただ、もう私が一つ言いたいことがあって、こちらの方が私は腹が立つんですが。
もう随分前になりますが、大阪府知事選を控えた今年1月初旬、「大阪でアーツカウンシルをつくる会」が大阪府知事選候補者宛に「芸術文化政策に関する公開質問状」を送付しました。候補者三人のうち、二人は回答がありました。そして、回答の無かった候補者が現在の知事です。当選し、半年間執政して(予算を通して)から「橋下文化行政に物申す」と題した会を開いて、「学生を相手に持論を展開」し、「自分の文化行政論に確信を持った」そうです。
その「確信」って、あまりに稚拙じゃないのか?それは文化行政っていうのか?そもそもそれは民主的な政治なのか?というのが、私の感想です。
あ、ちょっと怒ってしまった。怒る話じゃないよなぁ、これは。
-----------------
sent from W-ZERO3
2 件のコメント:
8万人を超える組織で、800万人の人口を抱える大阪府なので、その首長の判断が「大ざっぱ」になるのは仕方ないだろうと思います。
ですが「勘の良い素人」であってほしい。目先のことだけではなく、50年先の未来を見通せる人であってほしいと思います。
おそらくこの人の判断は、それが正しいかどうかは別として大多数の一般市民の考えとかけ離れていないと思います。その意味で大阪府知事の発言には注目したいし、われわれももっと一般市民に直接語りかけていかないといけないのだろうと思います。
tahahahiさん、コメントありがとうございます。
たしかに大阪府は人口も多いし職員も多いですが、大阪府に限らず、最近、「大ざっぱ」な判断の首長とか総理大臣がウケるのは何でなんだろう、とも思いますね。
「おそらくこの人の判断は、それが正しいかどうかは別として大多数の一般市民の考えとかけ離れていないと思います」…まったく、おっしゃるとおりです。
コメントを投稿