6.19.2008

子どもには、前提がない

昨日、藤野の山奥にある日帰り温泉に行きました。
3歳の息子と一緒に露天風呂に浸かっていたところ、湯面に露天の屋根を支える柱の影が映ってユラユラ揺れているのを、息子が発見。
「おとうちゃん、おさかながいるよ」と息子。
「あれはね、柱の影がお湯に映ってんですよ」と答えてみた。
すると「どうして?」と息子。
しまった、息子が「どうして大魔王」に変身してしまった。こうなると、彼が納得のいく答えを出すまで許されない。
「うーんとね、水っていうのはね、光とか影とかをね、反射する・・・っていうかね、うつすんだな」「どうして?」「うーんとね、光っていうのはね、波みたいなもんでさ、いや、あれ、粒みたいなもんだったっけな」「どうして?」「いやそれをどうしてって言われてもお父ちゃん困っちゃうんだけどね」・・・
納得いかない息子、不条理な質問に悔しがる父。
悔しいので、息子に逆質問してみました。
「じゃ、どうしてだと思う?」するとしばらく間があって、息子は言いました。
「あのねえ、おてんとさんが上にあってえ、どうくつが下にあるでしょ、それで上にもどうくつがあるんだよねえ」・・・さっぱりワケが分からない。答えになってんだか何なんだかも分からない。
どうして大魔王にどうして大逆襲してやろうかと思ったんですが、私が答えた自分でも曖昧で不確かな答えよりも、息子の答えの方が、なんだか素敵な感じがしました。なので、「ああそうか、洞窟が上と下にあるんだな、なるほどね」と引き下がってしまいました。
子どもには、前提がない。知識とか常識という前提もないし、間違ったことをいうと恥ずかしいというような前提もない。自由です。圧倒的に、自由。
宮沢賢治の「クラムポンが笑ったよ」という節のある詩を思い出しました。ああいう自然観察ができるのは、自由だからなんだろうなぁ。

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