6.17.2008

前提を瓦解すること

先の土日の2日間、パートナーの手塚夏子が参加した「匿名的断片」という公演を手伝いました。
出演は、この企画をきっかけに新たな「実験ユニット」を結成した神村恵、捻子ぴじん、スズキクリ、手塚夏子の4人。門仲天井ホールという小さなスペースに、3回の公演で計110人くらいのお客様が観てくれました。
今回の公演は(手塚にとっては今回も、ですが)、観客の期待を裏切ることを恐れずに、とにかく4人で実験をしようという意図がありました。
入場料をもらっているにも関わらず、観客の期待を裏切るなんて、あってはならないことだという考え方もあるのは、手塚も私も承知しています。それでも、観客(批評家やプロデューサーを含めて)の期待に沿うのではなく、アーティストは自らの表現手法を、観客は自らの感覚や感性を「疑ってみる」ことには、意味があると思うのです。手塚はこれを「前提を瓦解する」という言い方をしています。
それは大上段な言い方に聞こえるかもしれませんが、私たちの目論見としては、基本的にはささやかなことです。たぶん今回の作品では、多くの観客が感じたであろう「チョーたいくつ」「ワケわかんない」「キモい」といった感想が、大多数の前提に沿った印象だと思うんですが、もし何かのきっかけで前提が瓦解すれば、その印象が変わるかもしれないし、目に映るものや耳に入る音が、まったく変わるかもしれない。また、そういう経験が起きるのは、ダンスや音楽や美術に詳しいからとは限らない。もしかしたら、「フツーの人」の方が、前提を瓦解させることは簡単かもしれない、と思ったのです。
観客にとって、その目論見がどのくらい成功したのかは分かりませんが、少なくとも出演者は、何らかの前提が瓦解したようでした。その前提の瓦解は、独立して活動しているアーティストにとって、ともに実験し合える相手がいなければ不可能なことでもありました。
つまり、この実験ユニットの狙いを分かりやすく言えば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ということ・・・らしいです。

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