ストレスは連鎖するものだという実感が私にはあって、その連鎖を断ち切るにはどうしらたらいいのか、考えてみました。
それは「共感」じゃないか、と。
例えば、電車の中でうたた寝して、隣の人の肩に頭が触れた場合、そこに小さなストレスの連鎖があるかもしれません。うたた寝した人は、隣の人が不快な思いをしたかもしれないことに共感できて、肩に触れられた人は、うたた寝していた人が疲れているかもしれないことに共感できれば、そこでストレスの連鎖は断ち切れるんじゃないかと。
ちょっとした「あ、すいません」「いえいえ」みたいなやりとりとかがあれば、安心したりするわけで、それはお互いに共感し合えていることの確認行為でもあるわけです。
そう思うと、共感というのは、一方的なものじゃないということが改めて分かります。異なる立場、状況、考え方、価値観の、お互いが共に感じ合うことが、共感ですから。
ところが、多くの人の共感が、ある立場、状況、考え方や価値観に集中することがあるし、それとは対立する立場、状況、考え方や価値観を排除し、結果として、さらなるストレスを生みだしてしまう、ということもあるような気がします。
だから、多様な物事に共感できるようになりたいと、私は思います。<
悲しい、痛ましい事件が起きれば、多くの人が被害者に共感します。そのことで少しでも被害者の慰めや癒しになれば、と私も思います。一方、加害者に共感することは、できない人がほとんどだと思います。私も、加害者の動機が分かったところで、共感できないと思います。
ただし、加害者の、事件に至るまでの人生のどこかのポイントで、急激なストレスの連鎖があったんじゃないか。その連鎖の中では、彼も被害者だったんじゃないかと思うし、そこで共感できていれば、ストレスの連鎖を断ち切れたんじゃないか、とも思います。
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