うちの3歳の息子は、ときどき、人間以外のものになりきってしまうことがあります。
電車とか、バスとか、恐竜とか。彼が「でんしゃです」と宣言したら、もう、親が何を言っても彼は電車で、ずっと想像上の線路の上を走っています。彼が「ティラノザウルスです」というと、親はトリケラトプスにならないと絶対に許してもらえません。
おととい、息子の保育園からギョウ虫検査の袋をもらってきました。昨日の朝、パートナーの手塚夏子と息子は、いつも一緒に車で保育園まで送ってくれる近所のお母さんの車に乗っていました。車の中、手塚夏子と近所のお母さんは、ひとしきりギョウ虫の話題でおしゃべりしていたそうです。すごく長いヤツがいるらしいよ、とか、お腹の中にあんなのがいたらこわいねえ、とか。
それを黙ってお母さんの膝の上で聞いていた息子は、車を降りて保育園に着くやいなや、保育園の先生の前で床にうつぶせに寝ころんで、こう言いました。
「ぎょうちゅうです」。
そして床の上を体をくねらせて這っていたそうです。
それを見た保育園の先生、「お、ギョウ虫だ…」と言ってくれたそうです。
教育の中にアートを活用するという試みを私も手伝うことがあって、その趣旨を説明するときに「子どもの想像力、表現する力、コミュニケーション能力、創造力を育む」といった言葉を使うことがあります。こう説明すると大人は納得しやすいのですが、本当のところは、そもそも子どもには想像力、表現する力、コミュニケーション能力、創造力なんて、最初から備わっているし「育む」必要なんてないなぁと思うんです。
むしろ、そういう力を発揮しても大丈夫なんだ、安心して表現していいよ、という環境を作らなければならない。もし、表現力が不足していると思うような子がいるとしたら、その子は、どこかで、誰かによって、表現する欲求を萎えさせられてしまったんだと思うんです。
私は、ギョウ虫になりきっている息子を見て、誇りに思うんです。一度も目にしたことのないギョウ虫を、彼自身の想像力で、からだ全体を使って表現している3歳児。大澤家の誇りですよ。ホントに。
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