「教育上、子どもに好ましくない」「小学生にふさわしくない」「過激すぎる」という世田谷美術館の『冒険王・横尾忠則』展を、息子と一緒に見に行きました。行ってみると、土曜日だったこともあって、小学生くらいの子どもも結構いました。
教育上好ましくない、過激だという言葉も、3歳の息子にはそれほど大きな意味がありません。「ねえ、どうしてこのおじさんはふるちんなのー?」「なんでこのおねえさんは、はだかんぼなのー?」とか次々と質問攻めにあいます。そこで怯んじゃダメだ、と思い、「たぶん、むしあついんじゃないかなあ」「はだかんぼのほうがきもちいいんじゃないかなあ」とか、慎重に言葉を選びつつ、私なりにマジメに答えてみました。私たち親子の質疑応答の声が大きかったらしく、監視員の方を介して叱られてしまいました。ご迷惑かけてすみません…。
息子は、途中で飽きたかなと思うと、作品によってはすごく食いついて見たりしていました。私はもう少しゆっくり見たかったけど、それでも30分くらい、息子と一緒に奇妙な絵を見て、それについておしゃべりができて、とても楽しかったです。
私がエロティックなものに興味を持ち始めた頃は、何でもイヤらしく見えたり、何を見てもイヤらしいことを想像したりしました。電車の中吊り広告とか、夕刊紙のエッチな記事とか、もはや公共の場でエロティックな情報は氾濫していて、罪悪感を感じながらも目を離すことができない。私だけじゃなく、誰もが経験のあることだと思うんです。
横尾忠則さんの作品を見ると、半端じゃないくらい、イヤらしいものを直視するなぁと。ここまで向き合うと、イヤらしいものもイヤらしくなくなっちゃうし、どんどん神聖なものに近づいちゃうような気がしたんです。
見終わってみると、「冒険王」っていうタイトルが、とても素敵だなぁと思いました。想像することも、冒険をしないと。その冒険を、大人が「危ないから」といって、冒険したい子どもの欲求を萎えさせたり邪魔したりしなくてもいいんじゃないかなぁ。よっぽどヴァーチャルな冒険の方が、安全のように見えて危険だと思うんです。
あと、「公共の」美術館や劇場の大事な役割のひとつに、社会的にタブーとされるような表現のあり方について「なぜそれがタブーなのか」を議論する場を提供する、ということがあると思いました。それは、ほかの公共の場では担うことがでいない役割だと思うし、ヴァーチャルな空間でもダメだと思うんです。そういうことを考えるためにも、今回の出来事は大事なことだと思うし、こういう出来事があったことで、公共の美術館や劇場が、社会的なタブーとされるような表現から遠ざかってほしくないと、強く思います。
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