5.11.2008

学校裏サイト、不忍池のワニガメ、文化と生物の多様性

先日、横浜市の教育委員会が、「学校裏サイト」等でのトラブル未然防止に関する調査結果というのをサイトで発表しました。
概要しか確認できませんが、調査対象は141の中学校のうち105校で学校裏サイトが確認され、「学校裏サイト」での書き込みが、いじめや不登校、暴力行為などの深刻な問題に発展した事例のある学校は、15校となっています。
私が注目したのは、「学校裏サイト」に関係したトラブルを未然に防止する為の効果的な方法について、中学校がどのように回答したか、です。
「学年集会や学級活動での呼びかけ、及び個別相談や個別指導の実施/啓発資料(警察や教育委員会作成の資料)を生徒や保護者へ配布し、指導/書き込みをした生徒に対し、直接削除させる指導/学校間の連携による情報収集/「いじめストップ」等の生徒会活動/プロバイダ等への校長名等での削除依頼/学校におけるインターネットトラブル防止教室の開催」といった回答が紹介されています。
私は、これで学校裏サイトが防止できるとは、とうてい思えないです。

話が変わりますが、私が文化多様性と生物多様性のことを前のブログに書いたあと、私が運営委員と事務局として関わっている東京大学文化資源学公開講座「市民社会再生」の運営委員会代表の木下直之教授から、来週から始まる講座の挨拶文の原稿が送られてきました。その文章は公開講座のブログに掲載していますが、一部を引用させていただきます。
文化多様性や生物多様性という言葉をしばしば耳にします。そのつど、多様であることの最小単位は何だろうという疑問が、私には浮かびます。昨年、東大の隣の不忍池に、ワニガメを指して、「異常な生物」に注意という看板が建てられました。そして、すぐに、「異常な生物」は「危険な生物」に訂正されました。生物の多様性を認めるのならば、「異常」な生物はありえないからです。しかし、ワニガメは、人にかみつくという点で「危険」であるばかりか、ある地域の生態系を破壊し、結果的に生物多様性を破壊するという点でも「危険」だと見なされるがゆえに、排除されるのです。看板の「生物」を「人物」に書き換えても同じでしょう。建前としては。
(中略)
国民が画一的な生活を強いられる全体主義国家を一方の極とすれば、その対極には、個人が好き勝手に暮らす社会が想定されます。それらはいずれも、非現実的な社会であり、現実の社会は、両者の中間のどこかに折り合いをつけ、建設されてきました。妥協の産物、といって悪ければ、調整の産物です。新たな社会を構想するということは、新たな調整、新たな仕組みづくりにほかならず、そのためには、いったん「多様性」の理念を問うという作業が不可欠ではないか、と私は考えています。

文化多様性を破壊するような、表現による暴力(暴力的な表現とは違う意味で)は、認めてはいけない。けれども、表現を規制したり封殺するのではなく、あくまでも表現は自由であるべきではないか。ここで必要なのは、表現を受容する側の情報リテラシーであり、表現の多様性を維持することで、互いの価値観を許容し合える環境を作ることだと思うんです。
そういう世の中で果たすべきアートの役割って何だろう、と常々考えています。

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