今日から渋谷で映画「靖国 YASUKUNI」が公開されるためか、ふたたび報道が増えています。
4月26日の毎日.jpに「映画「靖国」:映像一部削除要求 制作会社、神社側に手続き質問書送付」という記事があります。
国会議員による助成金の妥当性についての問い→映画上映を中止する映画館の続出→新たに上映を決定する映画館の続出→国会議員が映画中の主要人物と電話で会話し肖像権の侵害を主張→靖国神社が「事実を誤認させるような映像」の削除を要求
流れを短く追うと、こういうことになると思います。
世論の動向を見ると、多くの人がこの映画に興味と関心を持っているのは確かですが、表に現れるか現れていないかは別として、この映画を「どうしても見せたくない」という強い意志を持つ人々がいるように見えます。
私は、この映画について予告編で見たときに、靖国神社と政治との関わりよりも、主要人物である刀匠が、どのような美意識や価値観を持っているのかに興味を持ちました。その美意識や価値観に、自分は共感できるのだろうか、ということが見てみたい理由です。
「どうしても見せたくない」という思いのある人々は、こうした「共感への期待」を閉ざそうとしています。それはいつまでもアンタッチャブルなもので、そこに強い連帯が生まれているのは、不穏に感じてしまうのです。彼ら/彼女らが「見せたい」「伝えたい」と思う美意識や価値観は何なんだろうか。
映画「南京の真実」が、全国各地の公共施設や靖國神社の遊就館で上映されているようです。公式サイトで予告編の映像も見られます。制作発表記者会見の映像も見られます。これだけ著名な学識者や多数の国会議員が応援している映画なのかと、驚きます。こうした先生方が映画「靖国」への助成の妥当性について国会で追及し、「歴史の真実」や「国家の名誉」を謳うのか、と。でも、こうした予告編の映像や、社会的な立場のある方々の発言を聞いても、そこに私自身の「共感への期待」が生まれないのはなぜだろう。間違った教育を受けてきたからなのでしょうか。むしろ、映画「靖国」の予告編でしか見られない、あの刀匠であれば、その美意識や価値観に共感や敬意が持てるかもしれないのに。
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