5.02.2008

ネガティブな連鎖と共感

最近のニュースを見ていると、ショッキングな事件が連鎖反応を起こすことが多いような気がします。チューリップ、硫化水素、聖火リレー、どれを見ても、何かが連鎖しながら、拡大していますよね。
こうした連鎖反応を観察すると、どうもネガティブな感情の方が、ポジティブな感情よりも、連鎖反応の強さや連鎖のスピードの早さが勝るということが分かります。チューリップを大事にしたいと思う人が圧倒的に多くいるとしても、チューリップを見るとムカつく、メチャクチャにしたいと思う感情が、それに刺激される人に伝搬する力が強く、早く広がる。
こういうときに、「共感すること」はとても大事だと思います。ネガティブな連鎖に巻き込まれないように、同時に、ネガティブな感情にも共感しながら、対話を諦めない。
悲惨な殺人事件の報道で、逮捕された容疑者の「誰でもいいから殺そうと思った」という供述を耳にしたのは、この数年間で何回あったのかな。もちろん、許せませんよ。けれどもその容疑者は、その行動をとる前の、どこかのタイミングで「誰でもいいから共感してほしい」と叫んでいただろう、と。「誰でもいいから」は、原因でもあり、結果でもある。結果も原因も、「私」と無関係ではない。だから、結果を生む前に、私が共感することも必要なんだ、と思いました。
こう書きながら、自分でもなんか説教臭くて偽善的な言い方で、嫌な感じだなぁと思います。もし私が被害に遭った人間だったとしたら、それでも加害者に共感できるのか。無理かもしれない。けど、いまは、共感することは大事だと思う。そういう私の気持ちも、誰でもいいから共感してほしいなぁ。

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