先の連休中に「道場破り」の会場にしていた「篠原の里」という、里山の廃校を活用した宿泊研修施設の近くに、「パーマカルチャー・センター・ジャパン」があります。
たまたま道場破りで宿泊していた私は、朝6時くらいに目を覚まして周辺を散歩しようと外に出たら、Oさんを含めて20人くらい、パーマカルチャーの若い人たちが、タオルを首に巻いて軍手に長靴といった出で立ちで、ぞろぞろと歩いていました。私はOさんに朝の挨拶をし、一緒について行っていいですか、と聞いたら、どうぞどうぞと快く受け入れてくれました。
パーマカルチャーの畑に着くと、そこは畑というよりも、雑然と草が生えていているようにしか見えません。収穫されるべき野菜が列を成している様子はなく、ビニールハウスやスプリンクラーのような近代的な設備もありません。
リーダーのような若いお兄さんは、雑然と生えているようにしか見えない植物を見分けながら、これは刈った方がいいね、これは残しておくといいね、といったことを言いながら、鎌で刈り取ったり取らなかったりしています。それを周りの人たちは聞きながら、じっくり植物を観察し、やはり刈り取ったり取らなかったりしています。
どうやら、何かの野菜を植えて育てるという発想ではなく、できるだけ自然に委ねた結果、育ったものを収穫するということのようです。農業のことに詳しくない私が一見して、それは経済的な農業には見えませんでした。しかし、長い時間をかけた試行錯誤の末に、自然に委ねつつ、計画的に野菜が収穫できるような畑が実現できたとしたら、それは人の手でコントロールする農場よりも経済的で、環境に優しく(というか環境そのもの)、かつ恒常的(パーマネント)な農業(アグリカルチャー)になる…というのがパーマカルチャーの理論のようです。
Oさんに、理想的な畑になるまでにどのくらいかかるんでしょうかね、と聞くと、あっさり「10年はかかりますよね」とのこと。
その言葉を聞いて、そうだ、やっぱり農業と文化は同じなんだよなぁ、と思いました。
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