4.02.2008

私は、映画「靖国」を見たい!

映画「靖国 YASUKUNI」の公的助成をめぐる論議を発端として、上映を予定していた映画館すべてが上映を見送ったという事態になりました。助成を問題視した国会議員の発言では、表現の自由を尊重するとありましたが、結果として、何らかの圧力が加わってしまったということは、かえって根深い問題のように感じています。
映画を製作した人たちや作品の中に、政治・宗教的な意図があるのかどうか、一方で、そうした意図を作品の中に見ようととする人たち側の政治・宗教的な信念について、きっと、どちらが正しいのかという話ではないのでしょう。
私は、学校における子どもたちの(いまや大人の社会でもあるという話ですが)「いじめ」の構造が、今回の映画「靖国」の問題と繋がっているような気がするんです。つまり、多様な価値観を受け入れる寛容さが、個人や集団の中に乏しくなっているだけでなく、異なる価値観を排除しようとする、集団や社会による暗黙の力が存在していると思うんです。
さらに根深いのは、そこに、自覚するか無自覚かは別として、「排除する側」に身を置かないと「排除される側」として攻撃を受けるかもしれないという恐怖から、結果的に誰もが「排除する側」に身を置いてしまうという連鎖がおきていると思うのです。
その連鎖の当事者である「私たち」が、表現の自由を自ら剥奪している、ということのように感じます。
こうじた状況に対して、私ができることを考えました。ひとつ私が思いついたのは、その映画「靖国」を見たい!ということを声を上げることです。私は、映画「靖国」を見たいし、見たいと思う気持ちを妨げる権利は、誰にもないはずです。自分の目で見て、自分で考えて、その価値観を受け入れられるのか、受け入れられないのか判断したい。その判断は、誰にも委ねたくない。
私は、映画「靖国」を見たい!

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