先週は各テレビ局や新聞などで、NYフィルが北朝鮮を訪問したことが大々的に伝えられました。このニュースに関して、毎日jpでは、いくつかのトピックに分けて報道しています。私が関心をもったのは、「米朝両国は事前に『公演を政治的に利用しない』(6カ国協議筋)ことで一致した」という内容の記事と、「米国のオーケストラは東西冷戦期のソ連や中国、ベトナムなどを訪問、米国との対立やしこりを和らげる役割を果たしてきた」という記事です。
少し前に、「Dear Pyongyang - ディア・ピョンヤン」というドキュメンタリー映画を見ました。映画では、音楽学校に通っている中学生くらいの男の子が、調律がボロボロになったピアノで、リストやショパンの作品をバリバリ弾くシーンがあったんです。それは私にとっては衝撃的でした。どのように衝撃的かというと、音楽や文化に対する「餓え」のようなものを演奏から感じたというか。音楽性や演奏技術は、どうでもいいくらい、その飢餓感や切実さが尋常じゃない。
今回のNYフィルの公演に戻ると、政治的に利用しないか、するのかということも大事なんですが、私は、文化に飢えている人に文化が届けば、それでいいんじゃないかと思いました。
あのピアノを弾いていた中学生は、NYフィルの演奏を聴けたんだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿