3.16.2008

チベットの「ソフト・パワー」

チベットで暴動が発生した、というニュースを昨日聞いて、アメリカに1年間滞在していたときのことを思い出しました。
私がシアトルにいた2003-2004年は、現地の文化に興味深い動向がありました。まず、中国の文化に対する関心が目に見えて高まっていたことです。シアトルの中でも、ミュージカルや大規模なダンスのワールドツアーの公演会場になるような劇場で、次のシーズンのパンフレットの表紙が、上海のコンテンポラリーダンスのカンパニーでした。ギャラリーでは中国系のアーティストの現代美術が目立ちました。私が研修に行っていた劇場のエグゼクティブ・ディレクターは、地域の経済人と一緒に中国の経済や文化の状況を視察に行く、と言っていました。
その中国への関心の高まりに勝るとも劣らず、チベットの文化への関心も高まっていました。ダライ・ラマの著書が一般の書店の店頭を飾りました。私はシアトルで4回、チベットに関するパフォーマンスや演劇を見ることができました。そのうち1回は、私が研修で在籍していた劇場での、チベット僧によるパフォーマンス(ほぼ宗教儀式)でした。そのパフォーマンスでは、劇場のロビーで僧たちが曼荼羅砂絵を作りました。公演が終わると、その精密に作られた砂絵を、祈りとともに崩して、その砂を、劇場の近くの湖に流すという儀式がありました。それを見ていた観客が、自然と胸の前で手を合わせていたのが、今でも目に焼き付いています。
中国とチベット両国への文化的な関心の背景には、中国とアメリカの経済的な関係の強化に伴って、政治的にデリケートな中国とチベットの(中国におけるチベットの?)関係にも関心が集まった、ということでしょう。そこで私が感じたのは、経済力や軍事力で、中国はチベットを圧倒的に支配しているわけですが、文化力という面では対等だということです。
その頃、ジョセフ・ナイが提唱した「ソフト・パワー」という言葉を知りました。おそらく、経済力や軍事力に対する文化力を数値化できるとしたら、世界中でチベットが、最もソフト・パワーの大きな国(自治州だから国じゃないけど)ではないか、と思います。
だから、今回のチベットでの暴動に国際的な関心が集まっていると思いますし、私は、チベットの文化を尊敬するからこそ、この非常事態についての中国政府発表の情報よりも、チベットの市民の声を聞きたいと思うのです。
ちなみに、その2つの国への関心に比べたら、日本の文化への関心は、大げさではなくて「過去のもの」という雰囲気が漂っていました。

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