3.16.2008

びわ湖ホール問題におけるサイレント・マジョリティ

びわ湖ホールの署名が締め切りを迎えました。私の知人友人、声をかけた人たちの多くが署名に協力してくれました。ありがとうございました。
ブログやmixiで、びわ湖ホールの問題を話題にしている方もたくさんいらっしゃいました。私が目にした情報のほとんどは、「立派なホールで、素晴らしいプログラムをやっているのに」「文化を政治の道具にするのはいかがなものか」といった論旨で、署名に協力するという声が多かったように思います。
そうした声の持ち主は、文化の必要性を感じ、オペラやバレエを愛する方々、ホールや劇場が身近な方々だと思います。そういった方々の声が、びわ湖ホールの問題を通して集結し、署名活動というアクションが起きたことは、私も文化の必要性を感じている人間として、素朴に嬉しかったです。
しかし一方では、オペラやバレエを見たことや、ホールや劇場に足を運ぶ機会が少ない方々も、多くいます。そうした方は「文化の必要性」と言われても「あればあったでいいけれども、別になくても困らない」「オペラやバレエは贅沢なものだし、どうしても必要というわけではない」という感覚かもしれません。これまでの私の印象としては、「文化の必要性を感じる人」に比べて「さほど必要性を感じない人」の方が、圧倒的に多数のような気がしています。
今回のびわ湖ホールの問題は、結果として「サイレント・マジョリティ」は、さほど文化の必要性を感じていない、ということが、浮かび上がったような気もしています。そのことを、びわ湖ホールや、私たちのように文化を必要としている者が、どう受け止めるのか。もちろん、受け流すことも可能ですが、私は、危機感を持っています。
生物の多様性と同じく、文化の多様性は、人間が生きる環境にとって不可欠だと思います。いま、私たちの生活の身の回りで、地域で、国内外で、文化の多様性が少しずつ(注視すれば目に見えるくらいのスピードで)、文化の多様性が失われつつあるように、私には見えます。

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