2.20.2008

コリーと「道場破り」のこと

コリー・ベフォートと出会ったのは、2004年の夏、シアトルでした。コンテンポラリーダンスの振付家やダンサーのためのマネジメントセミナーに参加していた彼女は、ダンナの仕事の関係でもうすぐ日本で暮らすことになるから、ぜひ東京か横浜で会おうと連絡先を交換しました。
半年後に、約束通り日本でコリーと会ったとき、すでに彼女はダンサーの活動を東京で始めていて、その行動力には驚きました。食べ物の好物や色の趣味趣向、お辞儀する時の姿勢、謙虚な物腰など、彼女は日本人以上に日本人らしいアメリカ人です。箸を使ってカレーライスを食べているのを見たときは、そこまで日本人にならなくてもいいんじゃないかと思ったほどでした。
とても理知的で寛容なコリーは、私の拙い英語をいつも我慢強く聞いて、状況や文脈から私が言いたいことを的確に理解してくれます。彼女のダンス作品も、やはり理知的で、同時に内省的です。「動く」ことだけではなく、「居る」ことや「在る」ことも含めてダンス作品を作っているというか・・・上手く言えないんですが、とにかくシアトルで初めて彼女の作品を観たとき、こういう作品を作るアーティストがアメリカにいるのか、と驚いたんです。
コリーに手塚夏子を紹介したのは、手塚が2005年に「私的解剖実験-2」をニューヨークでの再演前に、リハーサルを兼ねた小さな試演会を渋谷のギャラリーでやった時でした。コリーを含めて数人のダンス仲間が、作品の着想の断片や即興をお互いに見せ合うという趣旨で集まってもらいました。その時に手塚夏子の作品を観たインパクトは、コリーが日本で観たダンス作品の中でも最も強いものの一つだったようです。
手塚は、以前から日本語ではない言語から言葉と体の関係を探りたいと考えていたので、コリーと出会ってから、彼女に体や感覚に関する英単語を教えてもらい、日本語とのニュアンスの違いを調べていました。そのうち、お互いのダンスの手法について話し、相手の手法を実践してみるという試みになりました。それが現在「道場破り」と名付けている企画です。
2006年の秋、第1期の道場破りで、コリーを含めてバラエティに富んだアーティストが手塚と対話し、互いの手法を実践してみました。今でも私が覚えているのは、森下スタジオでのshowingで、手塚がコリーの手法を試みた時のこと。数分間、コリーの手法を手塚が実践したあと、手塚がコリーに感想を聞きました。ところがコリーは言葉が出ず、なぜか目が潤んでいました。その理由を、いま考えると、たぶんこういうことだと思うんです。
「道場破り」は、自分と他者が一対一で向き合い、言葉と体と感覚の差異を徹底的に突き詰めることです。突き詰めれば突き詰めるほど相手との差異は明らかになります。その差異を自分の体に取り込んでみると、自分自身の輪郭が見えます。また、相手は自分の体を鏡として輪郭を捉えます。このプロセスには、とても濃密で純度の高いコミュニケーションが生まれているような気がします。相手の差異を理解したいという切実さが湯気のように立ち上がっている、という感じです。あのときコリーは、その湯気に触れて、感情が揺さぶられて、思わず目が潤んでしまったんじゃないかと思うわけです。
その出来事は、「道場破り」という手法が、多様性を受け入れる世界を構築するための新しい可能性として、私に気づかせてくれたように思うのです。
コリーは、この週末にダンナとともにシアトルに戻ります。先週末に一緒に回転寿司を食べたとき、コリーは「Dojo-Yaburi in Seattleをやりたい」と言ってくれました。そして、手塚夏子の道場破りとコリーのDojo-Yaburiで交換し合おうと。いまからその日が楽しみです。

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