11.01.2011

「現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化である」

10月31日付のINTERNET WATCH「福井弁護士のネット著作権ここがポイント~TPPで日本の著作権は米国化するのか~保護期間延長、非親告罪化、法定損害賠償」は、文化政策に関心のある方のみならず、一人でも多くの人に読んでほしい内容です。福井建策さん、脱帽です。
ここでは文章の最後の部分を紹介させていただきます。
10月28日の毎日新聞朝刊で、APEC首脳会議でTPP交渉参加を表明すべき理由として、「それが米国が最も喜ぶ時期だから」という説明が与党内でされたとの報道があった。
当たり前のことを書くが、相手が喜ぶこと自体は外交の目的ではない。たとえば日本の交渉参加を交換条件に、こちらの要望を何か米国に呑ませるというなら、まだわかる。しかし、伝え聞く限り、その様子もない。
筆者は、国内外の契約交渉を専門としている。日本の場合、「相手と同じ船に乗っている」ということ、言ってみれば「何であれ何かに合意して(その場は)丸くおさまる」ということ自体が、しばしば目的化すると感じてならない。つまり、「合意至上主義」である。
「合意」は、決して交渉の「目標」たり得ない。逆だ。はっきりした「目標」があって、その目標を獲得できる時にだけ「合意」するのだ。
改めて問う。交渉参加の「目標」は何か。保護期間の延長ひとつ取っても一国の文化への影響は甚大だ。「なんとなくアメリカと仲良く見える」という程度の理由でそれが決まってしまうほど、この国の文化の、情報流通の未来は軽くないのである。
この福井さんの言葉と共鳴する、最近読んだ夏目漱石の言葉も紹介します。
御維新後外國と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違ひます…日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝撃を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應(いやおう)なしに其云ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有樣になつたのであります…是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化であると云ふ事に歸着するのである。無論一から十まで何から何までとは言はない。複雜な問題に對してさう過激の言葉は愼まなければ惡いが我々の開化の一部分、或は大部分はいくら己惚れて見ても上滑りと評するより致し方がない。併しそれが惡いからお止(よ)しなさいと云ふのではない。事實已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つて行かなければならないと云ふのです。
夏目漱石の1911年の和歌山での講演「現代日本の開化」から。ちょうど100年前の言葉です。100年経っても、日本の開化は上滑りしています。基地も原発もTPPも、何もかも、つるっつるです。

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